75代年間方針『成長』

 

63代夏合宿 叩け最硬の石鎚隊 2012/8/10-17

沢登り

8月10日
いよいよ夏合宿のスタートである。我々「叩け最硬の石鎚隊」は、リーダーの私小山を含め、計5人のメンバーで構成されている。まずはメンバー紹介をしよう。新人は、高校時代は陸上部で競歩の選手であり、トレーニングでもその体力をいかんなく発揮している藤田啓輔、2年は早稲田ワンゲルで現在20分間走トップ、今回は沢でトップをこなしてくれる佐々木透、3年は我が隊の紅一点でいつも笑顔の青木彩と、隊のサブリーダーで新人の時から夏合宿は沢一筋の尾形祥吾、そして4年はなんだかんだで63代では6回も合宿リーダーを務めてしまった、稀代の雨男小山恭平である。
集合はいつもの通りの高田馬場駅。ただ、いつもと違うのは集合時間が早朝であるということ。これまでの合宿では授業後に出発が多かったのだが、今回は朝に出発しても入渓点に到着するのが次の日の夕方になるのだ。また、今日一日の移動は四万十清流満喫隊と同じである。今日の目的地高松までは、なんと半日以上。長い長い行程を普通電車に揺られていくことになる。ちなみに、石鎚山のある愛媛へ向かうには高松に一度よるのは遠回りになってしまうが、讃岐うどんを食べるために高松へ向かうのである。電車での道中は、出発時に頂いた差し入れを食べたり、四万十隊リーダーの渡部は自分で作ったおにぎりをとてもおいしそうに食べていた。食事するときの表情では渡部の右に出る者はいないだろう。姫路を出るころには、外はすっかり暗くなり、瀬戸大橋を渡って四国に上陸するときも、果たしていつ上陸したのか、車窓を見てもよくわからなかった。夜は、高松駅でステビ。四万十隊とは明日の朝にお別れなので、互いの成功を祈願して酒を飲んでから就寝。
 
8月11日
起床後、ボート隊はすぐに旅立っていった。なんといっても、高松から四国の対角線上にある土佐大正駅へと向かうので慌ただしいのである。一方で、今日の移動には余裕のある我々は、前日にそれいけ隊が訪れたという讃岐うどんの店「さか枝」に行く。ここの良いところは朝7時から営業している点である。トッピングもお手頃なので、今後合宿で四国に行くことがあれば利用してほしい。その後は、四国を西へ西へと移動して昼過ぎには松山に到着。四国最大の街とのことだが、駅前はさほど大きくない。とりあえず、近くのショッピングセンターで昼食。夕方に再集合として一時解散。残念ながら時間が中途半端であったため、道後温泉へと向かった部員はいなかったようだ。
その後、駅から伊予鉄で横河原の街に向かう。予定より1本早い電車に乗るが、横河原駅には少し早目にタクシーが到着しているだろうとの予想で、ちょうど良いはずであった。しかし、そのタクシーが予約していた時間よりやや遅れてくる。これが四国では当たり前なのだろうか。タクシーで一気に入渓点の近くへ。そこへ至る道は、とてつもない山道でカーブの連続だった。これが四国か。入渓点につくころには真っ暗になっていた。そこにある宿舎では、昆虫採集だろうか、白い布にライトを当てて青年たちが作業をしていた。また、チックのキャンプ場でも、若者たちが楽しそうに騒いでいたので邪魔をしないようにそっと隅へ。しかし、そこは昆虫の巣窟で新人藤田の頭上に昆虫が降ってきた。そのため、藤田が起床係となり就寝。
 
8月12日
いよいよ入渓の日を迎える。今日の予定は面河渓谷の犬吠谷付近である。待ちに待った夏合宿沢隊も本格始動である。さて、この隊では2年が佐々木しかいないので、佐々木にトップをお願いする予定である。パーティーワンダリングでは、なかなか生きやすいルート取りに苦労していたようだが、この合宿ではどうだろうか。セカンドの3年生は2人ともしっかりしているので、佐々木のトップが多少おかしな方へ行ってもでも安心できる。
面河渓谷へはすぐに出会う。しばらくは遊歩道があるようなのでそれを利用して進むことに。この面河渓谷は、かつてはこの渓谷美を鑑賞しながら石鎚山へと至るルートがあったとのことだが、今では石鎚山の近くまで車道が伸び、この登山道は廃道になっている。その廃道を再び復活させようと、地元が現在修復中なのらしい。まだ、立ち入り禁止であるが、何年かすれば今よりも容易に御来光の滝を拝めるようになるのだろう。登山者にとってはありがたいものであるが、沢の静けさが失われることを考えると寂しくもある。
その遊歩道もすぐに終わり、いよいよ入渓。しかし、沢はまだ「沢」とは呼べず、「川」と呼ぶのが相応しいと思われる、大きな水量を湛えている。これには、トップの佐々木をはじめ少し尻込みするメンバーたち。入渓しても、深いところでは勢いがあり身体が流されてしまうので、巻き気味で。それでも、朝の涼しい時間帯から体が腰まで濡れて、少し寒く感じる。特に、藤田は途中でおかしな方へ行き首までつかっていた。
流れがないところでよかった。金山谷のあたりから、アブが目立つようになってきた。しかし、この後このアブがまだ序章に過ぎないことを知る。四国の山中ではこの後もアブに悩まされることになるのである。一番後ろから観察してみると、アブは特に佐々木にまとわりついているように見える。カは血液型によって寄り付き方が違うと聞くが、ここには佐々木以外にもB型人間が多数おり、それだけでは説明できないのである。アブはその先もどんどんエスカレートしていき、特に滝を巻く際には、トップの佐々木がかわいそうなほど纏わりつくのである。一本をとった時に青木が虫除けスプレーを佐々木に貸すも、アブは気にもしない模様。ハチと同じで黒い服がいけないのではないかと、替え着の白い服を取り出すも、佐々木には相変わらずアブがまとわりついている。テレビでハチに襲われる人の映像を見たことがあるが、それに近いものがあるかもしれない。
13時半ごろに、強い雨が降り出す。増水する前に安全な幕場を探すために、両岸を手分けして、幕営適地を探す。少し進むと、左岸に広く平らな土地がある。高さも十分にあるため増水に耐えられると判断し、ここをキャンプ地とする。今回はテントは持たずツェルトだけのためそれほど大きなスペースは必要ない。ツェルト3張は十分張れるスペースである。ちなみに、隊員が5人のため3つのツェルトのうち1つを荷物用として、残りの2つに人が寝ている。雨はしばらくすると止むが、1時間後にさらに強い雨。1時間ほど続く。テントとは違い、ツェルトではどうしてもすきまから雨が入ってくる。それは仕方がないことではあるが、雨を避けるべく悪あがきを繰り返す。
雨が弱まってくると、その後は尾形が焚火に勤しむ。焚火は沢の醍醐味である。しかし、雨のため木が湿っておりなかなか火が大きくならないようである。ここで、藤田が今日の食袋を浸水させていることが発覚。首までつかっていた時にでも濡れたのだろう。パッキングを丁寧にするように指導。食当中に私がトイレに行きズボンを下ろすと、股間にアブが集まってくる。できれば刺激してほしくないあたりを、アブは集中攻撃するので用を足すのに必死である。これが四国の洗礼か。その後は、尾形が火事まがいの事件を起こすなどして眠りにつく。
 
8月13日
朝食は毎度おなじみの棒ラーメン。MSRの調子があまり良くないが、調理はできる。今日はこの合宿でも大きな見せ場である御来光ノ滝と石鎚山へと向かう。御来光ノ滝より上は濡れていると滑りやすいとのことで、御来光ノ滝から直接稜線に出てしまうことにする。6時ごろに出発するが、昨日よりもアブの量が少ない気がする。それは朝が早いためなのか、昨日雨が降ったからなのか原因は分からない。ただ、昨日アブに集中攻撃を受けていた佐々木は、右耳がパンパンに張れている。石門の手前あたりで、佐々木のビール壜が割れ、あたりに芳醇な香りが漂う。山の神に酒を捧げるのも悪くはないが、2年生にはもって丁寧なパッキングをしてほしい。
沢の両岸に岩が聳え立つ石門をくぐると、御来光の滝はそこからすぐだった。最初は遠くに見えていたが、近づくとかなり大きい。四国最大はもちろんのこと、全国でも有数の規模を誇る御来光ノ滝である。前後の滝を合わせれば、その高さは100mを超えるともいう。たしかに、これまで沢を続けてきても見たことの無い規模である。高さでいえば、ヨセミテで見たヨセミテ滝が勝っているはずだが、水量や周りの雰囲気など迫力は十分に勝っている。この滝の近くでしばしの休憩。佐々木は藤田を引き連れて滝へ近づく。滝に近づくと、晴れていたも水しぶきで身体がびしょびしょになる。そして、その光景を写真に捉えようと奮闘する私だが、滝が大きすぎて、人と滝を同時に捉えることが難しい。結局、写真の中の佐々木と藤田はとても小さいものとなった。個人写真ももちろん撮影。長かった1本を終えると、そこからは稜線まで古い登山道のあとをたどる。一応、赤テープがところどころに巻かれているので、それを頼りに進む。踏み跡もついているが、藪の背丈が高いので思うように進まない。知床のハイマツよりはマシなのだが、空気が湿っている分不快指数は高い。この藪を越えるのに、実に2本を要した。
藪を越えると、愛大石鎚小屋はもうすぐだ。小ぢんまりとした小屋を越えると、あとは快適な登山道。ではあるが、見通しが良い分、なかなか進んでいないような気分になる。このあたりは笹原が沢地形に広がっており、そこをトラバースするので行く先が良く見える。石鎚山には神社があり、多くの登山客でにぎわっている。実は、我々が登ってきた面河渓谷とは反対側にはロープウェーもあり、夏休みには多くの行楽客も訪れるのだ。沢を登ってきた我々とは少しギャップがある。神社があるピークはその隣のピークよりやや低く、本当の西日本最高峰はここから少し東にある。そこまでは、岩場を越えていくため軽いバリエーションルートのようになっている。往復30分くらいとのことであるため、我々も西日本最高峰へと向かう。確かに、岩の上を進んでいくため、登山道よりも歩きにくく、稜線であるため高度感は十分である。ここで、青木がハマる。沢では滝や岩場も難なくこなしてしまう青木ではあるが、どうも沢を出るとその感覚がなくなってしまうようだ。もしかしたら、青木の本体はハーネスかヘルメットなのかもしれない。
さて、この時点で14時を回っているので、今日のうちにC2予定地に到着できそうにない。よって、C2を手前の二の鎖元小屋とする。石鎚山山頂から二の鎖元小屋まではすぐであるが、その間には鎖場が存在する。巻道もあるが、時間もできたので挑戦することに。御来光ノ滝ほどではないが、鎖の上から下をのぞくとかなりの高さがありそうである。二の鎖元小屋も見えており、この鎖を越えればいよいよ幕場である。まずは、トップの佐々木が慎重に下っていく。この鎖場は鎖が3本あるものの、隣り合っているため下から登ってくる人がいると落石を避けるために待たなければならない。人を待ちながら佐々木が下り終わるのに、30分近くかかった。このままのペースでは全員が下りるまでに日が暮れてしまうので、残りは巻道を使うことにする。
佐々木の待つ鎖場の下につくと、そこには「登り専用」と書かれた看板と苦笑いする佐々木が。下に書いてあったのでは、全く意味がないのである。そして、ささきが苦笑いしている理由は上から見えた小屋が実は小屋ではなく、材木が積んであるだけだったのである。二ノ鎖元小屋はもう少し下のようだ。少し下ると、そこには「小屋が建っていそうな」場所があり、プロパンガスや柱が転がっていた。ムムム・・・。嫌な予感。とりあえず、佐々木と尾形に偵察を頼む。二人が帰ってくるも、この先しばらくは小屋がなさそうとのこと。やはり、小屋がない。上にも下にも小屋がなく、目の前には小屋の残骸と思われる資材が散乱。これは、残念ながら小屋がなくなっていると考えるのが妥当であろう。小屋がなくてもツェルトが張れれば構わないのだが、あたりは整地されておりツェルトを貼れるような木がない。近くにあった物置を使わせてもらう。中には「御接待」と書かれた紙と、食べ物があった。我々も御接待にあずかろうと思ったが、私以外のメンバーは「いつの食べ物かわからないから・・・」と遠慮している。私だけ食べるのもあれなので、飴をポケットに忍ばせるだけにした。今日は藤田の体調が悪いので、早々に就寝。
 
8月14日
昨夜は午前2時くらいに、寝相の悪い私の体が伸びた衝撃で建物の扉が外れる。扉は外へ徒放り出され、取りに行く羽目に。朝に青木に聞いたら、私が霊に憑りつかれたのかと思ったとのこと。霊に憑りつかれるのは御接待を素直に受け取らない君たちの方だと思う。今朝は、私が高松のスーパーで購入した海鮮汁を使って、海鮮うどんをつくる。分量が分からなかったため、かなりしょっぱい朝ごはんとなった。藤田の体調不良は相変わらずで、焦っても仕方がないので、8時まで様子を見ることに。
8時に藤田に体調を聞くと「行けそうです」と答えるので、様子を見ながら進むことに。遅くとも、シラサ避難小屋までは到着できるはずだ。昨晩の雷雨の影響で、沢上の地形では登山道が水浸しになっている。土小屋までは2本弱。尾形は土小屋で久しぶりに便座に出会い、素晴らしい時間を過ごしたようだ。ここから先は、林道が併設されているも、登山道があるためそちらを利用。しかし、その道は昨日我々が沢から稜線へと至るときの道のように、半ば藪に覆われている。四国では東京近郊のように登山者も多くなく、その結果、道が荒廃していくのだろう。佐々木はルーファイに苦しみ、藤田は読図に苦しんでいる。これはこれで、部員の力を上げるのによい方法だとは思うが、すぐ下に林道が見えている中を藪に近い道を歩くのは気持ちのいいものではない。
名野川越で林道に出て、その後は林道を利用することに。林道では、全長が30cmはありそうなミミズ(シーボルトミミズ)が地面を這っており、四国には思わぬ生物がいるのだと感心した。藤田は、出だしこそ体調が良かったものの、また昨日のように体調が悪くなり、林道でもかなりゆっくりと進んでいる。いくら体力のある新人とはいっても、周りが上級生だけでは精神的なところも含めてキツいのかもしれない。シラサ避難小屋到着は13:40。このまま白猪谷の入渓点まで行ってしまってもよかったのだけれど、明日の天気が心配なのと、藤田の疲労を考慮して今日はここまでに。シラサ避難小屋はまだ建ってから間が無いようで、きれいで快適な小屋である。きれいなトイレには全員が感動。雨水タンクもあるが、飲み水はせっかくだから沢で汲む。今晩の食事は、ベーコン丼。軽量化に真っ向から対抗したようなメニューであるが、味はうまい。哲学者もびっくりのお味である。こんがりとローストした肉厚のベーコンが、意外なほどにご飯に合う。濡れた荷物を干しながら就寝。
 
8月15日
今朝は起床係の佐々木が寝坊。2日連続の寝坊である。とはいっても、他のメンバーは起床時間前に全員起きていて、佐々木が起きないのをニヤニヤしながら見守っていたので、出発には支障がない。6時に出発するも、直後に激しい雨。このまま降り続きそうなので小屋に戻って様子を見ることに。雨はしばらく降り続き、止む気配がないので今日は停滞に。ちょうど入渓の日と雨が重なってしまった。藤田の元気を取り戻すために(?)、藤田を山荘シラサに行かせる。山荘シラサとは林道沿いにある一軒宿で、ライダーの溜まり場になっているらしい。しかし、藤田は出かけてすぐに帰ってきた。下界の雰囲気と、ワンゲルスタイルの自分とのギャップで落ち着かなかったのだという。さもありなん。しかし、その後青木に、各下山口からの交通と、OB・OGへの絵葉書を買いに山荘へ行ってもらったが、雑誌がたくさんあり快適だったとのことである。感じ方は実に人それぞれなのだ。
避難小屋にはダルマストーブがあり、佐々木が薪をくべて濡れたものを乾かしている。しかし、ふとした瞬間に佐々木がストーブの煙突に触り火傷。休養日だからと言って気を抜いてはいけない。けがは軽そうで何よりだ。14時を回ってから、避難小屋にほかの登山者がやってきた。東京でカメラマンをされている方で、伊予西条から歩いてきたのだという。この後は剣山へも行くとのことなので、縦走ラウンドで会うかもしれない。ほかにもこの日は2人ほど登山者が来た。この休養で藤田の体力も回復し、雨雲の通過も待てたのでよかっただろう。
 
8月16日
今日はいよいよ吉野川の源流白猪谷へと向かう。四国を代表する河川である仁淀川と吉野川の源流がこの石鎚山塊に集まっているのは、狭い四国で2000mを越える山が存在しているからなのだろう。白猪谷の入渓点までは、シラサ避難小屋から登山道をたどる。この登山道はどういうわけか昭文社のエアリアには記載がない。どちらかといえば、登山者よりも地元の人に使われる道なのかもしれない。白猪谷入渓点までは1時間半ほど。思った以上に快適な道だった。白猪谷を覗くと、昨日の雨の影響か若干水が多いように感じられるが、普段の様子が分からないのであくまでも感じられるだけである。この白猪谷には遊歩道もついているとのことだが、途中で数か所、沢を渡る橋が崩落している場所や登山道が崩れている場所があったので、今は遊歩道として使われていないのだろう。逆に、沢登りとしては静かに登れてよい環境である。
10時半ごろに源流モニュメントにつく。遊歩道の終点で、四国の形にくりぬかれたオブジェがある。また、この奥に15mの滝があるが、これを高巻くのに苦労する。ルート取りはよかったのだが、このあたりは、土が崩れやすく、岩も多いため落石を起こしやすい。藤田は行動中に落石を起こして、下にいた尾形が危ないところだった。
大滝の上はさらに沢が続いていて、地形図を見ながら本流を詰める。適当なところで、沢から尾根に出て藪の急登を詰める。こちらの藪は、例の御来光ノ滝の藪をはるかに超えて、かなりきつい。この藪を越えると、時間は2時を回っていた。詰めたところから、沢装を解除しながら景色を眺めていると、林道を200mほどいったところに吉野川源流の石碑が見える。どうやら、詰める沢が一本東だったらしい。5人ともが分岐を見逃していたようで、反省する。大休止のあと、今日の幕場である瓶ヶ森ヒュッテまで向かう。瓶ヶ森で式典を行う。全員で記念撮影。幕場には4時半に到着し、ツェルトを張る。この幕場には、他にファミリーもきていて、天体観測をするようだ。後になって分かったことだが、この夜は流星群が見られたらしい。
今日は天気も良く、ツェルトの外で最終夜を迎える。新人の藤田は、体調を崩しながらもよく頑張った。体力は部の中でも上位なので、ここまでバテる経験もなかなかないだろう。2年佐々木も、この合宿の最初は沢のルートファインディングで覚束ないところがあったが、後半になると行きやすいところを選べるようになってきた。一つの合宿で成長が見られて、リーダーとして嬉しい。3年の尾形も青木も、次代の沢活動の中心となるメンバーなので、合宿が終わると忙しくなるだろうが頑張ってほしい。そして、自分は部での沢活動がこれで終わってしまうのが名残惜しいが、また機会があればこの場所に戻ってきたいと思うような合宿ができた。瓶ヶ森の幕営指定地は、きつい行程を乗り越えた我々にとって、とても美しく見えたのである。部員と募る話をしながら、夜の微睡の中へ。
 
8月17日
いよいよ下山日。今日は西之川へと下山する。長々とした下りだが、これまでの行程に比べるとずいぶん快適だ。それでも、快適すぎてかえって長く感じられるのはどうしてだろうか。下界へと気持ちが完全に向いているからかもしれない。下山するまでは、この合宿でなかなか歌う機会がなかったので、全員(ほとんど藤田)が歌っていく。登山口にある集落に人気がないと思ったが、どうやら、この先の道が土砂崩れで、車両が通れないためらしい。そして、この道路では再びアブに悩まされる。今になって言える話だが、私はこの時アブに最も攻撃されている藤田から、若干距離を開けて歩いていた。アブが自分の方へ移動するのを防ぐためである。温泉でさっぱりして、下界の味に舌鼓を打った我々は、バスと電車を乗り継いで高知駅へ。高知駅までは、半日かかりその間は対向車両や特急列車を待つためにいくつもの駅で10分ほどの停車を繰り返しつつ、気が付くと真っ暗になっていた。高知では、沢ラウンドの打ち上げとして焼肉屋を探し食べ放題を楽しんだ。若い女性の店員さんの土佐弁に心が奪われたのは私だけではないだろう。疲労のためか焼肉の途中から眠たくなり、駅前で早々にステビ。
 
8月18日
大都会に見える高知だったが、翌朝になってもまあまあ都会であった。この日は装備を送り返すまではフリーとし、自由行動にした。リーダーはわんぱーくこうちアニマルランドとのいち動物公園という2つの動物園を巡った。また、縦走ラウンドに向けて差し入れを買い足した。
夕方に再集合して、沢装備一式を東京に送り返し、ボート隊が来るまでボーリング場で楽しんだ。ボーリングでは、後輩たちが私に接待プレーをしているように見せかけて、最後は優雅に私を追い抜いて行くという、スペクタクルショーを見せてくれた。負けたら、酒を持つらしい。まあ、鮭を一匹もつより、酒を一升持つ方がましと考えることにする。
ボート隊とは夜の20時くらいに合流したが、みな日焼けをしていて本間も少したくましくなったように思う。
 
8月19日
この日は朝に日曜市が催されているとのことで、6時半ごろから日曜市へと向かう。高知市の中心街でのイベントであり、毎週この規模の市が開かれることはすごいことだと思う。佐々木が、高知名物の冷し飴を購入。冷し飴とは一般的な固形の飴ではなくて、液状の飴で生姜風味だという。一口もらうが、、、、味は好みが分かれるかもしれない。日曜市は野菜などが中心だったため、高知の名物が揃う広目市場へ。カツオ、クジラなど高知の名物を食す。もちろん、リーダーの好物である茄子は忘れない。
この日も終日フリー行動であった。リーダーは牧野富太郎を記念して造られた牧野植物園を訪れたが、新人本間がいた。植物園に行きそうな部員はいないと思っていたので意外な発見である。また、私が昨日動物園で収穫してきた情報をもとに、高知の美術館で行われる新海誠の映画上映会に足を運んだ部員も多かったようだ。
夜は、自転車隊と合流し、高知城のビアガーデンに。高知城はライトアップされていて、入館しようとしたら入場料が掛かるとのことだったので外から眺めるだけにした。モノ好きな渡部と福永は入館していた。実にモノ好きな連中である。そのあと、別の飲み屋に行って酔いつぶれる。さらには、ステビポイントでも飲んでいたため就寝は翌日になってからであったとおぼろげに記憶している。

 

Waseda Wander Vogel

Waseda Wander Vogel

早稲田大学ワンダーフォーゲル部の公式HPです。

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