75代年間方針『成長』

 

会津駒ヶ岳 2003/2/8-9

山スキー

会津駒ケ岳ワンダリング報告書

日時:2003年2月8-9日
メンバー:L倉本(4年)宮崎(4年)伊藤拓 牛田 武井 田中(1年)渡辺(46代)

地形図:桧枝岐 会津駒ケ岳 1/25000

2月8日(土)晴れ後曇り    
東武浅草→会津駒ケ岳登山口→登山道1220地点

 前日が徹夜だったので前後不覚の眠りに落ちて、武井からの電話で目が覚めたのは午前0時を少し回った頃であった。「すいません。部室にワカンを忘れました。」むーん、今からでは部室は開くまい、ってか行けまい。仕方ないので武井はワカンなしだ。暫しボーゼンとし、気づくともう午前2時である。慌しくワンダリングの準備を始める。4時30分に家を出て、東部浅草駅に向かう。途中銀座線にて牛田と合流。ホームで拓と田中を発見しコールをかけるが反応したのは拓だけであった。恥ずかしがり屋の田中は雑踏の中で振り向くのが嫌であったに違いない。
6時過ぎには渡辺さんを除く全員が集合。6時20分の東武日光行きに乗りこむ。この電車は6両編成だが、後ろ4両は新藤原まで行くので楽チンである。宮崎によると渡辺さんは特急で追いかけてくるとの由。下今市まであと2駅というところで連絡すると、今大久保で下今市で合流すると仰る。絶対無理である。どうすんべと思案しながら、車窓に展開する日光山系の絶景に目を奪われる。1年はトランプに興じた後、惰眠をむさぼっている。旅情を介しない奴等メ。
新藤原で野岩鉄道に乗り換え、9時30分に会津高原の駅に到着する。ここではもう携帯電話は使えない。あまり天気がいいので、雪もしまっているだろうと、ワカンはロッカーにデポすることにした。極道めいたバスの乗組員にせかされながらバスに乗り込む。9時45分に出発したバスは、11時15分に会津駒ケ岳登山口に着くまでに、会津の山並みを愉しませてくれる。期待が高まるというものだ。
バスを降りてから何とか渡辺さんに連絡を取ろうとするが、一向にだめである。最後の手段で民宿の電話をお借りし、会津高原駅で呼び出してもらう。宮崎が「早稲田大学の渡辺と言う者なんですけど…」と言った2秒後に本人が電話に出る。何をしていたのだろうか?「登っといて、なんとか合流するから」という綿密な打ち合わせをし、12時15分本隊は出発した。
今日のトップは拓と田中。林道を進み、沢を100mほど詰めた所までは良かったが、それから傾斜が急になると、1年全員スッテン、バッタンともうこれ以上のこけ方は考えられまいというくらい転倒している。1年諸君は皆無言。こりゃ先が思いやられるわい。  
トレースはいくつかついており入山者の多さが推察されるが、いかんせん雪が少ないし、ここ数日の好天で雪質はベシャベシャであまりよろしくない、さながら残雪期のようである。今日も暑いくらいの陽気だ。2月の会津駒と言えばスキーには折り紙付きだが、今日はやや機嫌が悪そうである。
今回テントは持ってこずに、雪洞を掘る予定であるが、雪の少なさから適地がなかなか見つからない。登山道脇1220m付近の小雪庇で今日の行程を終了し、雪洞を掘り始める(13時50分)。
雪洞が今回初めての1年諸君に簡単な説明した後、掘り始めるが、すぐに地面が出てきてしまう。うーむこりゃ今日はツェルト泊かもしれぬという不安が過り始める。雪洞が売りのワンダリングだけに、反乱が起きるやも知れぬ。しかし15時頃合流した渡辺さんにも奮闘していただき、16時40分になんとか7人収容可能な雪洞が完成した。「ホる」のが何より好きな牛田・武井の頑張りようも見物であった。その間牛田が書いた天気図にはバッチリ二つダマがあり、天気は下り坂のようである。
17時30分に食事を作り、その後ちびりちびりと呑む。カバディなるスポーツにつき激論をするが、朝までナマという訳にはいかず、21時頃寝た。明日の起床は5時。

2月9日(日)雨のち晴れ   
BC→会津駒ケ岳登山口→桧枝岐

 5時に目が覚め外を見遣ると、なんと雨が降っている。いくらなんでも雨はないだろうと愕然とする。いきなりジャブを食らい肩を落としているところに、牛田が「昨日のシール歩行でこけたときに痛めた右肩が、痛みが酷くなり行動できない。」というパンチを浴びせてくる。1度目のダウン。この天気であるし下山することに決定。生姜味噌汁なるものを食べ、7時30分に行動を開始する。肩を痛めた牛田は、つぼ足で私と下山することにし、その他4人は滑って降りることにする。
牛田と私は8時20分に登山口に着いたが、一方のスキー隊はなかなか下りてこない。結局30分ほど待って、ようやく合流した。誰か1年がハマッタのであろうと、宮崎に問うと、なんと宮崎本人がまさしく七転八倒していたらしい。宮崎曰く、シートラで藪の中を滑ると死ぬ、そうである(宮崎は牛田のスキーを背負っていた)。
風呂でも入って折角の休日を有意義に過ごすかと、「駒の湯」まで歩くと、入浴は11時から。あと1時間半もあるではないか。メンバーの落胆振りをみて、セコンド宮崎がタオルを投げる、私はTKOされた。
風呂屋のおやじさんのご好意で、10時から入浴させてもらうことになったが、私の傷心は癒えず風呂の中でバーボンを飲んだくれる。この頃には快晴になり、それがまた恨めしいではないか。風呂から上がって、取り敢えずビールで乾杯。12時30分のバスで会津高原駅へ。駅近くの蕎麦屋で一応の打ち上げをする。ただし蕎麦は一人分、天ぷら・岩魚そばは出来ないよと店のおばちゃんが言う。いくら優柔不断の我々でも、そこまで選択肢を減らしてくれなくてもよさそうである。しかしおばちゃんはとてもイイ人で、うどんを大盛りにしてくれたばかりか、食後コーヒーまでご馳走してくれた。
会津高原駅から浅草行きの電車に乗りこみワンダリングは終了。皆おつかれさんでした。

(追記)
あまりに行動がなかったものだから、逆に報告書が短くなることに意味なく憤りを感じ、おばちゃんの井戸端会議のように無駄に長い報告書になってしまった。ここまで読んで下さった方は有意義な情報のなさにがっかりなさっていることだろう。誠に相すいません。
 

Waseda Wander Vogel

Waseda Wander Vogel

早稲田大学ワンダーフォーゲル部の公式HPです。

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