75代年間方針『成長』

 

東海道~潮岬 2011/5/4-7

自転車

~自転車活動の「飛躍」に向けて~
長距離チャレンジW-ing 4日間で600kmの移動を目指す!!

 

5月4日
総距離:157.8km 獲得標高(最大標高差):1424m (878m) 行動時間:11h(休憩1h45m含む)
小田原-R1-箱根峠-沼津-r163-R139-r396-R1-静岡-r210-R1-r381-r415-R1-掛川C1

5月5日
総距離:163.9km 獲得標高(最大標高差):325m (109m) 行動時間:12h49m(休憩3h45m含む)
掛川-R152-浜松-R257-R1-R301-r3-R1-豊橋-岡崎-名古屋-r59-r70-R1-桑名C2

5月6日
総距離:183.6km 獲得標高(最大標高差):1421m (418m) 行動時間:12h29m(休憩2h05m含む)
桑名-四日市-R23-津-R42-松阪-大台-紀伊長島-尾鷲-熊野C3

5月7日
総距離:82.1km 獲得標高(最大標高差):506m (64m)  行動時間5h35m(休憩48m)
熊野 -新宮-那智勝浦-串本-r41-潮岬

 

<行動記録>
5月3日
集合は小田原。Lは終電の1本前で小田原に向かう。吉村はだいぶ先に小田原に着いていた。待たせてしまい、悪いことをした。この日は吉村が待ち時間の間に見つけてくれた小田原城近くの公園でC0。Good job 吉村!!

 
5月4日
総距離:157.8km 獲得標高(最大標高差):1424m (878m)

5時起床のはずが目を覚ますとすでに5時30分!初日からやってしまった… 先が思いやられるが、急いで朝食を食べ出発準備をする。同期のS.W.からもらったレッドブルの差し入れを飲み、気合いを入れる。そう、これから4日間かけて600kmもの道を行くのである。寝坊くらいでしょげている場合ではない。(と言いつつ、しばらく頭の中で反省タイム。) 6時11分小田原を出発。
待ち受けるは天下の険「箱根」。2月に泣かされた場所である。あの時は箱根に行くまでに向かい風でヘロヘロになり、あげく交通量の多さで精神的にも消耗し、撤退。今回はその時の反省を生かし、東京発ではなく小田原発にした。狙い通り、朝一の箱根は交通量が少ない。前回はどんなにキツい登りでも、後ろからの車が気になり蛇行すること叶わなかったが、今回は違う。所々くねりながら高度をあげる。函嶺洞門、宮ノ下、小涌園、恵明学園など箱根駅伝でお馴染みの場所を過ぎる。国道1号最高地点の標識を越えると、束の間の芦ノ湖への下り。またすぐ登り返し、8時29分 箱根峠到着。前回、果たせなかった箱根越えに本番で成功する。

ここからは三島まで一気に下る。ヒャッホ―♪ 三島を越え、沼津まで行くと問題発生。国道1号がバイパスとなり、自転車が通行できない。仕方なく、横を走る県道に移る。この先何度か国道1号に入れず、横の県道を走ることになる。清水に向かう途中、ようやく海が見える。静岡を過ぎると、藤枝、島田など風景が似ている街を過ぎる。

金谷を越えると、東海道でも三本の指に入ると言われる難所。小夜の中山峠である。標高はそれ程でもないが、さすがに150km近く漕いでいたので、サクサクっとはいかなかった。16時15分に登り切る。頂上にお茶屋があり、そこで子育て飴入りソフトクリームを食べる。ここのお茶屋のオリジナルらしい。ミルキーな味わいである。菊川辺りから風景が一変し、お茶畑が見られるようになる。一般にイメージする静岡の風景である。17時11分、掛川駅到着。掛川駅は木造舎で趣がある。2年H下の母校がある街だ。

幕場を大池公園としていたがもっと駅の近くに良い幕場がないか調査。Lは幕場調査。吉村は買い出しが出来そうな場所を見つけてくるとして、一時解散。18時に再集合。北池公園というところが幕場に良さそうである。幕場はOK、スーパーもある。各々夕食を買い、幕場に移動。明日の行程を確認し、21時に就寝。吉村はあまり疲れを見せず、元気そうである。

 
5月5日
総距離:163.9km 獲得標高(最大標高差):325m (109m)

4時30分起床。Lは寒くて、なかなかシュラフカバーから抜け出せなかったが、5時に出発準備完了。5時11分、出発。1本で浜松市内まで行けた。浜松駅は整備がされ、非常にキレイであった。さすがは政令指定都市。浜名湖を過ぎると、愛知はもう目の前である。

3年K山、2年U山、新人F永と近年のワンゲルで愛知県民の存在は大きい。愛知最初の都市は豊橋。次いで岡崎。岡崎は徳川家康が長いこと居城としていた場所であり、なかなか面白そうであった。刈谷でお昼時になったので、吉村に何か食べたいものがあれば適当に止まって良いと指示を出す。すると、よりにもよってとんこつラーメンの店に止まる。この先まだ行程が残っているし、昨日から自転車を漕ぎ続けていて、「よくそんなヘビーなものを食べようと思うな」と呆れながらも店に入り、注文。こってり、いただきました。
昼食の間に吉村に名古屋で寄りたいところを尋ねるとアップルの直営ストアという答えが返ってくる。正直、Lは興味がないので名古屋で自由時間を取り、お互いに名古屋の雰囲気を味わうことにする。そして、体力にも余裕がありそうなので四日市まで進むことにする。13時40分、熱田神宮に着く。参拝をし、16時にもう一度熱田神宮に再集合とする。Lは少しでも名古屋を感じようと、名古屋城や栄町に行く。さすがにデカい街である。吉村が集合に8分も遅れる。信号に引っ掛かったというが言い訳になっていない。2人だと思って緩み過ぎである。厳しく注意し、出発。

ここで吉村が国道23号の方が早く四日市に着くのでルートを変更しないかと提案してくる。国道1号もこの先どうなっているか分からないので、吉村の提案に乗ってみる。国道23号に向かうが残念!国道23号は完全なるバイパスで、自転車が入り込む余地がない。仕方なく、1号と23号の間にあった県道70号で四日市へと向かう。30分のロス。長良川を渡るとそこはもう三重県である。時間的に四日市まで行くのは難しいと判断し、桑名市で泊まることにする。18時桑名市着。駅前のアピタで買い物をし、九華公園で一夜を過ごす。個人的に三重県の人は何弁を話すのか興味があったが、柔らかい関西弁であった。名古屋は比較的標準語が耳に入ってきたが、どこが言語の境となっているのであろう。吉村が公園にいたネコに威嚇をしていた。20時30分就寝。

 
5月6日
総距離:183.6km 獲得標高(最大標高差):1421m (418m)

4時30分起床。やはり寒くて、Lはシュラフカバーの中でモゾモゾしている。その点、吉村は素早く準備を行い、素晴らしい。
5時15分出発。四日市は大コンビナート地帯。ただ、鈴鹿に入ると田んぼののどかな風景が広がる。津、松坂に入るとまた都会である。松坂から先はツーリングマップルからでも、街ではないことは一目瞭然である。徐々に熊野の山の中へと入っていく。静岡市を過ぎたあたりからであろうか、サークルKが幅を利かせるようになっていたが、松坂から先は一党独裁である。通過する町の中心部には必ずサークルKがある。サークルK、さすが愛知資本である。山の中にも高速道路は走っているのだが、なかには作りかけのものもあった。熊野は長い間神の領域であったが、こんなところにも開発の手が… と吉村が嘆いていたが、全く同感である。山の中を縫うように走る。徐々に標高が上がっていたのであろうか、荷坂峠はたいしたアップを感じることなく、越える。ここから紀伊長島まで一気に下ることを考えると、圧倒的にこちら側の傾斜は緩く、逆に反対側は地獄の200mupであったろう。12時35分、C3予定地であった紀伊長島に着いてしまう。早い!

道の駅「紀伊長島マンボウ」にて昼ごはん休憩。Lが以前テレビで見た全国オススメ道の駅という特集でここが取り上げられていたので、密かに楽しみにしていた。Lは迷わずマンボウフライ定食を注文する。吉村はかなり迷ってサバ味噌煮定食にする。マンボウは白身魚なのだが、歯応えがあり、どことなく鶏肉にも近い味がした。美味なり。予定よりかなり早く着いてしまったので吉村とどこまで進むか相談する。とりあえず30km先の尾鷲の通過リミットを15時30分に定め、それを切れた場合は更に32km先の熊野まで行くことにする。13時25分、出発。

ここから先は熊野古道が道の横に所々ある。完全に山奥である。途中、吉村がデジカメの充電をしたいと言う。この急いでいる時に!と思うが、Lが持ってきたカメラの電池も風前の灯。万が一切れた場合は完全に記録がなくなってしまうので、吉村の要求を飲む。15分だけで良いとのこと。道の駅「海山」で吉村のデジカメを充電。掃除のオバちゃんがコンセントにささっているデジカメを訝しげに眺めていた。15時22分、尾鷲到着。

尾鷲の通過リミットは切れた。もう一度熊野まで進むか考える。400mupを含んだ32kmを2時間30分で行くというのは危うい賭けであったと思うが、明日の天気が怪しいし、今までの2人の行動力があれば行けると決断し、先に進む。(結果的にこの日稼いだ貯金が明日の行動を助けた。)尾鷲から先は完全に山道である。熊野の深い緑が辺りを包む。立ち漕ぎを交えながら、懸命に登る。箱根は前にルートを下見していた分、こちらの登りの方がキツく感じた。矢ノ川トンネルの前でたまらず吉村が水を飲みたいと言う。当然OK。大又トンネルというところでひとまずアップは終了。少し下る。16時46分、道の駅「熊野きのくに」で1本。
尾鷲からここまで17km。1時間24分で400mupを越えたことを考えれば及第点。熊野まであと15kmなのでギリギリ間に合いそうである。少し下り、また40mほどアップし、小阪峠を越えると、あとは熊野まで一気に下る。17時44分、熊野市に到着。イオンで買い出し。「こんな所にも高校生がいるんですね。」や「この街はイオンとTSUTAYAとサークルKで全て語れますね。」と吉村は失礼なことを連発している。そこに住む人々の日常に踏み込んでいるのは我々なので、行く街々全てに興味を持ちつつ、敬意を示してほしい。彼なりの興味の持ち方なのかもしれないが… ところでイオンの全国展開は素晴らしい。「こんな山奥にも!」と言ったら吉村と同レベルか。ワンゲルの自転車活動をして分かったことは、「イオン系列のスーパーはどこにでもある」「・セブンイレブンは都市部に集中しており、思ったほど全国展開をしていない」ということである。イオンで買い物をし、マップルで運動公園とあるところまで移動。途中、日本最古の神社である花の窟神社に立ち寄る。
この神社のご神体は岩。「鰯の頭も信心から」というと信仰心を軽んじているように聞こえるかもしれないが、たしかに迫力があり、どこかパワーを感じさせる岩であった。この地でイザナミ神が死に、それを奉った場所だそうだ。吉村はしきりに伊勢神宮に行きたいと漏らす。我慢してくれ!
運動公園は想像以上に整備され、キレイな公園であった。野球場にテニスコートが完備。
なぜ、こんな場所に!?今日、60km近く稼げたので、明日の行程は80kmたらずで済んでしまう。余裕っすね!1日かけて三重を縦断したが、松阪を境に北部と南部が二分されている感じがした。三重県北部は完全に都市化が進み、南部は神の領域ということで開発の手から守られている。私も伊勢・志摩・鳥羽に行って、また違う三重を発見したいと思った。21時就寝。

 
5月7日
総距離:82.1km 獲得標高(最大標高差):506m (64m)

翌朝4時30分起床。外は強い雨に風。これはさすがに出発できない。しばらく待機の指示を出す。1時間後、とりあえず収まった。今のうちに急いで出発!と行きたいところであったがLのフロントタイヤがパンク。チューブを交換する。6時35分に出発開始。止んでいた雨がまた降り始めていた。
もう1度花の窟神社に参拝をし、ワンダリングの成功を祈願する。ご利益があったのか雨足が弱まり、結局懸念されていた雨に再び降られることはなかった。7時5分、いよいよ潮岬に向けて動き出す。熊野市から先はずっと海沿いの道である。紀伊の海は明るい水色でキレイである。天気が曇りなのが残念!新宮市に入るといよいよ和歌山県である。ツーリングマップル上に日本一短いぶつぶつ川というものがこの先の太地町にあると書かれていた。吉村が興味を持って、行きたいと言うので行ってみる。おっちゃんが洗い物をしていた。おっちゃんに挨拶してみると、「わざわざこの川を見に来てくれはったのか」と言う。地元の人と話すのは楽しい。

さぁ潮岬はもうすぐだ!ぶつぶつ川を過ぎると、すぐに串本町に入る。看板には本州最南端の町という嬉しいキャッチフレーズが書かれている。なぜ、自転車乗りは最○端や○○最高標高を目指してしまうのか?それは誰にも分からない。天然記念物である橋杭岩を過ぎ、10時31分、串本に到着。余分な荷物は駅にデポることにする。個人的に紀伊大島まで続く、くしもと大橋に興味があったが撮影だけで渡りはしなかった。岬特有のアップダウンを経て、いよいよ11時7分に本州最南端である潮岬に到着!!
もちろん成功させるつもりでいたが、いざ実際に成功してみると実感が湧かない。意外とあっさり終わってしまったと言うか、困難がなかったと言うか… 一重に運が良かったし、吉村の頑張りのおかげであったと思う。ありがとう!

11時35分まで潮岬にいる。途中、吉村が消える。レストランでマグロバーガーを食べていたらしいが勝手な行動は取らないように!ここら辺、まだ彼は上級生になりきれていない。12時10分、串本駅に戻ってくる。帰る電車は14時33分だから余裕だぜ!と思っていたら一大事。観光協会に行って、打ち上げとお風呂の場所を聞いてみる。打ち上げの場所はツーリングマップルでも取り上げられていた「くしもと」という鮮魚店にする。が、肝心のお風呂が開くのは13時30分。しかも、自転車で10分の距離。どう考えても30分入るのが限界である。吉村はゆっくり入りたいと風呂に入ることを断念。へそを曲げる。Lは時間との戦いに挑む。とりあえず、「くしもと」で打ち上げ。Lはトッピー(トビウオ)丼、吉村はトッピーとカツオの盛り合わせ丼を食べる。上手い!吉村は自転車以外の活動もしたいと言う。「自転車はもう十分だから、他の活動してOK!」と簡単に言えないのが心苦しい。彼なりのワンゲルというものを残りの3年間で見つけてほしい。「合宿よりも合宿らしかった」と言うのは褒め言葉なのか不満を漏らしているのか判断しがたかったが、本当によく頑張ってくれた。打ち上げ終了後は14時33分まで解散。

Lは13時30分に温泉に向かう。観光案内所で教えてくれた「弘法の湯」というところに行ってみてビックリ!普通の民家が自宅の風呂を一般開放しているとしか思えない。浴室も2室。1人入ったら一杯である。幸いにも他に客はおらず湯船を1人で独占する。ヌルッとする独特の泉質であった。14時に出発し、14時7分串本駅着。輪行をすませ、ちゃっかりお土産まで買い14時33分新宮行きの電車に乗り込む。短い時間であったが串本でやりたかったことは全てできた。電車に乗り込んでから記録を書き始める。余談だが関西弁の女子高生は可愛い。
ふと窓の外を見ると蒲郡。もう21時55分。記録を書くのに何分かかっているのだ!そして電車は偉大であることを再確認する。
(2011年5月7日 帰りの電車内にて大池が記す)

P.S. ちなみに7日のうちには静岡までしか行けず静岡のデニーズにてC5。翌日の始発に乗り朝8時に東京に帰る。

 
<潮岬長距離チャレンジワンダリング総括>

62代自転車活動年間方針の目標の1つに長距離にフォーカスしたワンダリングを出すというものがあり、目標を「潮岬に4日間で行く!」に定めた。総距離587.1km、すなわち1日平均146.8kmの移動というのは未知の数字であり、成功できるかどうか確信が持てなかった。そのため異例ではあるが、2~4月にPWを組み確実に実力をあげてきた。
PWを2回失敗するなど窮地に立たされた場面もあったが、なんとか本計画までたどり着いた。そしてこのGW、未知へと挑戦した。結果的にワンダリングは成功し、62代自転車活動の飛躍に大きく貢献するワンダリングとなった。もちろん万事上手くいったわけではなく、反省しなければならない点もある。ただ1つの目標を達成できた事実は喜びたい。
次代以降も現状に満足することなく、もっともっと自転車の可能性を追究し、魅力的な活動を展開していってほしい。
 
【行動判断】
・計画とは違ったルートを使用したことについて
当初の計画ではずっと国道1号沿いに行く予定であったが、ところどころバイパスにより自転車通行不可の部分があった。そのため、自転車も通行できる他の県道を利用した。計画とは違う道を使用することは安全管理上許されることではないが、自転車が通行不可である以上、先に進むための選択肢はルート変更しか残っておらず、止むを得ない判断であった。ただ、そういう機会があまりにも多かったため、バイパス状況は事前に調べておくか、計画段階から「バイパスにより通行不可の区間があった場合は、臨機応変に先に進める道を使用する」などの但し書きを書いておくべきであった。次回以降、バイパスの有無には注意して計画を作成してほしい。

・計画段階とは違う場所で泊まったことについて
計画段階では1日目は掛川、2日目は名古屋、3日目は紀伊長島でそれぞれ泊まる予定であったが、実際には2日目が桑名、3日目が熊野となった。行動準則は「16時より前に行程を終えてしまった場合、隊員の状態と天候によっては先に進む。その際先に進むのは行動予定より30km以内とする。」としてあり、先に進むことを想定していなかったわけではない。それでも3日目の熊野は紀伊長島から62km先の街であり、準則を逸脱した行動であった。
先に進むという判断は翌日の天候、6日のメンバーの状態と6日までの行動力を総合的に見て下した判断であった。その際、「紀伊長島の30km先にある尾鷲の通過リミットを15時30分に定め、それを超えた場合は熊野へ、越えられなかった場合は尾鷲に泊まる」という準則を新たに定めた。成功確率を上げるため、進める時にどんどん先に進みたかったという考えもあり、事実翌日の行程をだいぶ楽にした。判断としては適切であったと考える。計画作成段階で自分たちの行動力の把握ができていなかった点は反省したい。行動準則というものは安全上、遵守することが絶対である。ただ計画作成段階では予期できなかったことも起こり得る。そういった時は、新たに準則を定め、柔軟に対応しても良いと考える。

・7日の出発を遅らせたことについて
6日の夜から7日早朝にかけて激しい雨であった。当初は5時頃に出発する予定であったが、雨が強く出発を遅らせた。そして雨足が弱まった6時30分頃から活動を開始し、以後強い雨に降られることはなかった。計画段階より相当先に進んでいたため余裕はあり、潮岬にも問題なく着けたので判断としては適切であった。自転車活動において降雨による停滞の判断を下すのは難しいが、漕いだ時に安全が確保できないと感じた場合は停滞して良いと考える。

以上の行動判断より、計画作成段階での見通しが甘かったと言わざるを得ない。繰り返すが基本的に計画書上に書いたことは遵守しなければならないので、今回遵守しなかった部分が多くあったことは反省したい。大きな事故も無く、結果的に成功したが作成段階で予期できなかったものが多かったので、今回の結果を夏合宿計画作成に活かしたい。

 
【計画省察】
・総距離587.1km、1日平均146.8kmの移動について
62代自転車活動の飛躍を担う上で積極的に長距離のワンダリングを狙おうと考え、今回のワンダリングを計画した。今まで経験したなかで最も平均移動距離の長かったワンダリングは分からないが、おそらく100km前後だと思われる。そのような中で一気に50km近く引き上げるのは無謀に思えたかもしれないが、PWを組み(後述)、着実に経験を積んでいきクリアすることができた。ここで実際に1日150kmの移動をしてみた所感を記す。

今回のワンダリングは行動時間の大半を移動に費やした。これは行動時間の合間に観光などを取り入れる夏合宿と比べて極めて異例であった。正直言って、普段訪れることができない場所を立ち寄りもせずに素通りするのはもったいないという見方もできる。それにもかかわらず、今回ただひたすら潮岬を目指すだけのワンダリングを出したのは純粋に達成感だけを追い求めたいと考えたからである。夏合宿に比べて時間的に余裕がないという物理的な問題もある。実際、移りゆく景色や人の言葉などを肌で感じられるだけで十分楽しかったし、何より「今日はこれだけ移動できた」という充実感があった。自転車活動の1つの極致としてただひたすらゴールを目指して移動するだけのワンダリングも存在して良いと考える。
ただ、同じことを夏合宿でやりたいかと聞かれたら疑問が残る。先に述べた通り、夏合宿は期間が長く時間に余裕がある。その全てを移動に費やすという合宿を作って果たして魅力的なのかどうか疑わしい。夏合宿に自転車隊を選ぶ人間は少なからず、普段行けない場所に行けて観光もできることに魅力を感じているだろう。実際、今までの自転車隊はそこを売りにしていた。そういった欲求を全て無視して、ただひたすら移動するだけの合宿を行いたい場合は、何が魅力で何を感じてほしいか隊員にきちんと説明する必要があるだろう。
私自身は合宿というのは活動の魅力を伝える場だと考え、達成感も観光も2つとも自転車活動の魅力だと考える。つまり何が言いたいかというと、これら2つの要素は活動の魅力を伝える上で欠かせないものである。そのためこれら2つを対立させることなく、上手く両立させる工夫を夏合宿で行いたいと考えている。(※後付けとなってしまうが、62代夏合宿九州ぐるっと未知行く隊は総距離1200km、1日平均移動距離100km、九州全県制覇という要素を”未知”とし、その”未知”を達成したために飛躍できたと言える。移動の合間に観光する、多めに休養日を設けるなどで九州を満喫できる工夫をし、思い通りの合宿ができたと考える。)

私は合宿のためにワンダリングが存在すると考えるので、合宿を心から楽しむためにワンダリングで己を鍛える必要があると考える。ワンダリングで自分を限界まで追い込めば、必ず合宿で余裕が生まれると考えるからである。なので、今回のようなチャレンジワンダリングならば移動だけの行程もありだと考える。
捉え方は人それぞれだと思うが、1つのワンゲル観として参考にしてほしい。

 
・今回のワンダリングに向けて
何度も述べるが、1日平均146.8kmの移動というのは経験したことなく、自分たちの実力を把握するためにPWを4回組んだ。本ワンダリングの期間がGWということだったので、2・3・4月にPWを組むという初めての試みを行った。
実際にどのようなワンダリングを行ったかは以下の通りである。
 

日にち地域主旨成果
2/27箱根(途中撤退)GWワンダリング最大の難関を越えるGWワンダリングのルートが下見でき、対策を練ることができた。強風時の行動を経験できた。
3/23関東平野(途中撤退)長距離の錬成200kmの行程を経験できた。強風時の行動を経験できた。
4/10伊豆半島紀伊半島を想定して海岸線を走る海岸線の経験を積むことができた。
4/28~29神奈川・静岡・山梨1日平均150kmの移動を目指す平均移動150kmの経験を積むことができた。2日間で獲得標高3000m以上の行程を走破できた。

 
第1弾で、本計画で一番の難所である箱根峠を経験し、第2弾で、本計画で予定していた以上の距離を経験する。第3弾で本番に近い海岸線での行動を経験しておき、最終PWで本番と同等かあるいはそれ以上の行程(獲得標高を考慮すれば本計画よりも厳しい行程であったと考える。) を経験した。最初の2本は失敗したが、箱根は朝抜ける・風の弱い時間を狙って進むなど本計画で同じミスを繰り返さないよう対策を練ることができた。失敗から学び、それらを本計画で反映させることができたので価値ある失敗だったと考える。
3本目は浜風が実際にどのような感じなのかイメージをつかむために計画したが、ステップアップの順番としてはもう少し前に持ってきたほうが良かったかもしれない。あるいは計画自体にもう少しボリュームを持たせたほうが良かったかもしれない。いずれにせよ一連の流れから少し外れてしまった。日程に余裕がなければ3本目のワンダリングは削っても良かったと考える。今年は東日本大震災の影響により、4月が全て休みだったため行えた。最終PWは結果的に成功でき、本番に向けて弾みがついたが、もう少し獲得標高を抑えて成功確率をあげても良かった。仮に最終PWを失敗したら、士気に関わるし、本番の計画を見直す必要が出てくるからである。

次代以降もGWなどでチャレンジワンダリングを出したい場合は62代の一連の流れを参考にしてほしい。ただし、2月や3月、4月は本来、山スキーや新歓活動に力を入れなければならない時期である。2・3月に自転車PWを組むことによってスケジュールがタイトになるのは覚悟してほしいし、今年は新歓期間が大きくずれ込んだという特殊なスケールであったことも考慮されたい。いずれにせよ行う場合はきちんと他の部員とスケジュールや
自転車ワンダリングを行う意義を話し合って決めてほしい。

・自転車隊メンバーの中でも上半期の活動数に差が生じてしまったことについて
上半期は自転車ワンダリングを出す機会が限られていたため、どうしても潮岬ワンダリングに焦点をあてたワンダリングが多くなってしまった。自転車隊メンバーの中には潮岬ワンダリングに参加しないものもいた。上半期は彼らをステップアップさせられなかったことを反省したい。今後挑戦的なワンダリングを志向する場合はなるべくメンバー全員でやってほしい。やれない場合もきちんと残っている人はどうすれば良いか考え、ステップアップに上手く組み込んでほしい。

・GWに上級生だけのワンダリングを出すことについて
GWというのは新人に各活動をPRする大事な期間である。本来は体験ワンダリングを優先して出してほしい。体験ワンダリングを出した上で上級生ワンダリングを行う分には特に不利益は生じないと考える。新人へのフォローを忘れないでほしい。62代は大学のスケジュールがズレたため、GW段階で新人の数が少なかったから問題は生じなかった。仮にスケジュールが普段通りに動いていた場合は、潮岬に行かない4年若林慧に体験ワンダリングを立ててもらおうと考えていた。(人出が足りないのでOBの方にも協力を仰いでいた。)
GWは上級生ワンダリングよりも体験ワンダリングを優先してほしいと考える。

 
【まとめ】
62代自転車活動の飛躍を支える重要なワンダリングを成功でき良かった。距離というものにフォーカスした活動というのは今までにあまりなく、今後の自転車活動に可能性を残したと思う。今までに経験したことのないくらいハードな行程ではあったが、その分得られた達成感も感じたことがないくらい大きなものであった。さしずめ、自転車活動版の錬成合宿といったところか。この62代の活動に触発されて、後代でさらなる発展があることを願う。
計画を審査して下さった、監督・コーチの皆さま、このワンダリングに理解を示してくれた62代委員会メンバー、一緒に挑戦してくれた吉村、本当にありがとうございました。
報告書の提出が遅くなり、すいませんでした。

 
最後に…
2011年9月4日に上陸した台風12号によって、紀伊半島は甚大な被害を受けました。
被災地域の早期復興を衷心よりお祈りし、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
 

Waseda Wander Vogel

Waseda Wander Vogel

早稲田大学ワンダーフォーゲル部の公式HPです。

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