こんにちは。
新人の奥平です。錬成合宿から帰ってきました。後発隊の人はお疲れ様でした。また様々な差し入れをしてくださってありがとうございました。
今回の合宿ではしっかりと錬成されてきたと思います。そのことについてお話したいと思います。
合宿初日
高田馬場駅で記念撮影をしてから出発しました。このときはまだカメラに笑顔を投げかける余裕がありました。
目的の駅に着いてからステビというものをしました。ですが全く眠りにつけずに、内山さんの歯ぎしりを体育座りで聴いていました。
行動一日目
山道のタクシーで車酔いしてすごく気分が悪いうえに、一本目から佐々木さんの容赦ないペースでかなりつらかったです。この時点で一人で帰ろうかと思いましたが逃げ道がありませんでした。
本題の薬師ヶ岳についてですが、登った記憶があまり残っておりません。すみません。
二日目
地蔵ケ岳では例のごとく走ることになったわけですが、既に足の筋肉が限界で砂の斜面に耐えられず何度も転びました。佐々木さんのあまりの速さに感銘を受けながらなんとか山頂に辿り着き、長谷川さんと同様に印象に残らない山を通過し小屋に到着しました。
食当のときに差し入れの多さに、水の係の藤田がすごく困惑していて「食の錬成」の名は伊達じゃないと思いました。
三日目
撤収のときにスパッツのチャックが閉まらずに皆を待たせてしまって、幸先の悪さを感じていました。
僕の予想はあたり、この日から団配で振られた中金の重さに耐えることができずに、アサヨ峰では意識が朦朧として終始フラついていました。だんだん中金の重心の悪さに腹が立ってきて崖からこのまま落ちようかとさえ思いました。正直に申しあげますと、このとき半泣きでした。アサヨには二度と行きたくありません。
仙水峠から小屋までの道はガレ場になっているのですが、僕は靴ズレと巻き爪で足が潰れていたのに佐々木さんがいきなりペースアップを始め、また渡部さんに「遅れんな!」と言われ精神的に追いやられていました。
四日目
この日はピストンであり撤収も楽勝で、余裕をかましていました。ですが起床係の役割をこなすこともできず、食事も喉を通りません。体も疲労のせいか全く動かないのに、同期の藤田が物足らなさそうに軽々と歩いているのを見て、体力の差をまざまざと見せつけられました。長谷川さんの「流石っす」作戦は普通に気づいていました。すみません。しかしながら、疲れている状態でも後輩にそのような様子を見せようとしない男気は素直にかっこいいと思いました。
最終夜では先輩の差し入れの多さにビビりながらも、二年の佐々木さんと長谷川さんから熱いお言葉を頂き、最終日に向けて意識が高まってきました。
この日のテントは地面が傾いており、僕が傾斜の下側にいたのですが上方からありえないほどの重さが掛かり、全く眠れませんでした。そんな中、隣にいらっしゃった内山さんがスペースを作っていただいて、やさしさを感じました。
最終日
悲劇はこの日に起きました。まず食当中に軍手のあまりの臭さに耐えきれず、水を飲むことさえままならないので朝食をほとんど藤田に食べてもらいました。これがいけなかったのでしょうか。
団配を紙面で見たときには怯えていましたがパッキングもなんなく終わり、背負ったときも「まあ、こんなもんか」と余裕しゃくしゃくでいました。
しかし行動を開始してから異変が生じました。仙水峠に向かう途中、何故か全く汗が出ずに吐き気を催し、近くのものに焦点を合わせることができなくなってきました。だんだんと意識も消えていき、その後は記憶にございません。合宿の行程を達成できなかった敗北感と山への恐怖だけが残りました。
疲れのせいだと思っていましたが、どうやら高山病になったらしく下山が決まり、僕のせいで甲斐駒山に向かうことができなくなりました。多くの人に迷惑と心配を掛けたことをお詫び申し上げます。
今回の合宿では、行程を全て終えることはできなかったですが、体力、精神力が鍛えられ、またそれらの重要性をしっかりと認識することができた為に非常に有意義なものであったと思います。
ですが、下界では見られない先輩の偉大さに胸を打たれ、大きな壁があることを再認識しました。次の夏合宿は四年の方との最後の活動になるので、最高の合宿にするためにも日々、ワンゲル部員として力をつけていきたいです。
錬成合宿お疲れ様。
錬成の洗礼を受けたようですね。
でもそうやって皆強くなっていきます。
今はゆっくり休んで次の夏合宿に備えてください。
錬成が苦しかった分、夏は最高に楽しいはずです。