75代年間方針『成長』

 

谷川岳 2005/4/16

山スキー

谷川岳山スキーワンダリング報告書

日時:2005年4月16日
メンバー:L春田 SL古川 栗原 米山

地形図:水上〔1:25000〕
主旨:雪上訓練ついでに山スキーを楽しもう@谷川岳
 


 
<4月15日>
午後5時過ぎ、馬場を出てそれぞれ個別に電車移動。午後8時半過ぎに、土合駅着。例の462段を上がっていくのだが、週末に向けてか、我々以外にも登山者の姿が見られた。直接話をしたわけではないが、学生2人(男女)の会話をちらっと聞いてしまった。そして非常に親近感を抱いてしまった。その内容は、
(女)「ねぇ、もう一年生からメール着ちゃった♪」
(男)「なに、もぅ辞めるって!?」
(女)「...。違うよ...。」
というものであった。この人たちは数名の男に女1人というパーティー構成で、だいたい私達と同じようなクラブ活動なのではと思われた。「お互い苦労してるねぇ~」と心の中でつぶやくとともに、是非「どこの大学ですか?」と聞いておきたかったのだが、きっかけを失い、そのまま話しかけることはなかった。待合室ではミーティングも早々に切り上げて、語る。新人指導でお疲れの2年生たちは、昨日山岳部と交流会を行っていろいろ話してきたらしいが、やはり我々(WV)と彼ら(A)では、基本的なコンセプトに違いがあるようだった。いろいろ話してから23時前にはシュラフにもぐった。4月になってもまだまだ土合は冷えていた。

<4月16日>
6時起床、6時半過ぎに出発。気圧の谷の通過で曇っている。そういえば、11月に笠井コーチがリーダーで来たときも同様に曇りだったような。あの時は、スキー場に積雪がほとんどなく、コースも3つくらいしか営業していなかった。冬合宿では妙高に雪が降らずここにやってきて林の中に幕営し、スキー練習。1月は雪崩講習会。今シーズンは何かとここへやってくることが多かったのは偶然か必然か...。それはともかく、事前に聞いた積雪量は、4mであった。具体的にイメージ出来ていなかったが、ロープウェイで上がると、それなりに雪はあるかと思った。出発前に、まだ雪の上でアイゼンをつけたことのない栗、米に、アイゼンの履き方などを教授してからゆっくりスタートする。

 朝一なので、天神山に至るリフトは動いてなかった。1日中暇だし、待つという選択肢もあったのだが、天気は良くなさそうだし、山スキーが久しぶりの米もいるので、行動時間は出来るだけ確保したいため、ゲレンデを尾根に向かって直進する。お金をけちることも理由の一つだが。先行パーティーは、スキーの人もツボ足の人もいたが、はまっていそうなところを見ていたので、うまくルートを選んで進んだ。尾根には順調に上がり、シールを滑らせ稜線上を移動する。曇って、谷川の頂上が見えないのが残念だ。

 1441mのコルの手前のポコは、切り立った崖みたいになっていてスキーを脱がざるを得なかった。そこで昨日土合で一夜を共にした例の男女を含むパーティーに追いついてしまい、狭い道で渋滞してしまう。熊穴沢ノ頭避難小屋で一本の予定であったが、渋滞を緩和するために少々早いが一本にした。

 その後なんなくシール歩行をこなし、避難小屋に到着。9時は回っているとはいえ、もう下山してくる人が何人かいた。我々も負けずと、どんどん先行パーティーを抜かしていく。例のパーティーも抜かしてしまったが、多少傾斜がきつかったりするところで、栗米コンビは二人同時に転ぶなどいろいろとやらかしてくれた。まだまだシール歩行の経験が足りないようである。そんな2人に目もくれず、さっさと進む古川の背中が非常にたくましかった。下りに使う斜面側よりに赤旗が立てられていたので、それらを使いながら山頂を目指した。時折晴れ間も見えたのだが、基本的には、曇ったままであった。

 少々長めだったが、いっきに山頂へと登った。(10時半着)オキノ耳すらほとんど見えないという視界の悪さ。なんだか悲しいが、これは仕方がない。差し入れとしてコーラを空けて、カキ氷になる予定であったアンコを生で食った。記念撮影もそこそこに、11時5分滑降を開始する。古川と私で栗米コンビを挟んで下った。春合宿不参加であった米山のスキー技術が心配であったが、上手に滑っていた。栗原もうまく滑っていた。うまいとスキーは楽しいのだから、今後も積極的に参加してほしいものである。米山の実力が不透明なことなどを理由に、計画段階で稜線を忠実に戻るルートをとったわけだが、非難小屋から熊穴沢、西黒沢を下るのも可能だったかもしれない。

 計画通りに、あっという間に斜面をすべり、稜線へ戻る。もっと滑りたい誘惑にも駆られたし、栗原たちも不満そうではあった。しかし、56代の積雪期経験というものはこの稜線をピストンすることになるしかないというものだ。自分たちが再び計画したときはもっとレベルの高いコースを自信をもって下れるように、今後がんばっていってほしい。もちろん自分もだが。

 さて、稜線に戻ればあとは来た道を引き返すだけ。ぎりぎりまでスキーで進んだが、先ほどの渋滞した崖を通過する手前で一本とり、シートラにチェンジした。スキー場が見えるところまでそのまま歩き、スキー場へ滑り込んでワンダリングが終了した。

 米山は午後券で、古川は一回券で、ゲレンデで遊んだあと、各々で田尻沢を滑降し、ロープウェイ駅にたどり着いた。そしてベースキャンプの土合駅まで歩いたが、登山者が何パーティーも集合し、宴会を始めようとしていた。一方で我々は、明日の上級生で行う雪上訓練合宿に備え、ひたすら眠るのであった。。。

 ピストンだけでもの足りなさこの上ないという感じではあった。縦走もたくさんできるし、すべる斜面もたくさんある中でおそらく一番簡単なコースでのワンダリングであったろう。まずは、少しでも経験を増やすことが重要であるので、参加してくれた3人にはとりあえず感謝するとともに今後もどんどん山スキーに行こう。行くしかない。
(haruta)
 

Waseda Wander Vogel

Waseda Wander Vogel

早稲田大学ワンダーフォーゲル部の公式HPです。

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