75代年間方針『成長』

 

丹沢主脈縦走 2004/5/15-16

登山・縦走

丹沢・主脈縦走ワンダリング報告書

日時:2004年5月15-16日
メンバー:L春田(2年) SL柳瀬(2年) 鳴海(新人)

地形図:秦野、大山、青野原 (1/25000)

趣旨:錬成にむけて縦走を経験する。 / 新緑の山行を楽しむ。

5/15
大倉10:00-11:13駒止茶屋11:25-12:23花立山荘12:44-13:16塔ノ岳13:29-14:32丹沢山15:15-15:50休憩所

5/16
休憩所07:18-08:18蛭ヶ岳08:36-10:03姫次10:27-12:20林道との合流点12:30-13:14東野
 


 
<5月15日>
いつものように柳瀬の家をC0とする。5時半起床。だらだらと出発し、6時40分には新宿で小田急に乗る。予定より一本早い電車だ。二人とも電車で爆睡していてほとんど車内の出来事はおぼえていないが、近くにいた茶髪の女子高生が髪を束ねた後“かつら”をかぶったのには仰天した。自分も茶髪を隠すため電車や駅のトイレで黒スプレーをかけた経験は持っていたが、かつらとは...いったいいくら位するのだろう。と考えているうちに、7時53分渋沢駅到着。待ち合わせまでに時間があるのでトイレで水を汲み二人で鳴海を待つ。

 が、来ない...一応電車は指定してあったが、乗っていないようである。十分ほど待つと知らない番号より着信。親の携帯より遅れるという電話がある。一応行動時間は余裕をみているので、問題はないのだが、忘れ物常習犯なので他になにかないか心配である。ワンダリングとはいえ、何かあれば付きの上級生である柳瀬の責任はでかい。結局30分ほどで到着し、急ぎでバスに乗り込む。終点の大倉に、9時10分到着。鳴海にはここで水を汲ませる。皆で準備をしていると磁北線の引き忘れに気づく。もちろん鳴海の。仕方なくバス停にて磁北線を引かせる。ちゃんと前日に確認したのだが...やはりこれは柳瀬の責任である。

 さて、いろいろ時間はかかったが、なんとか歩き出す。それにしても今日はいい天気だ。翌日の天気が悪いとわかっているだけに今日を楽しまなければいけない。分岐を二つ通過して、そのたびに柳瀬と読図指導をする。今回の趣旨は鳴海に錬成に向けて縦走を経験してもらうのが一番の目的であるが、二年二人の無積雪期縦走の感覚を取り戻すという裏趣旨もあったりする。総じて練成に向けてのプレワンダリングなのだ。結果的に三人とも同じ隊だったこともあり、実際かなり役に立っていた。

 尾根にのると単調な道がけっこう続く。「駒止茶屋で茶でも飲もうか」などと会話しつつ進むが、なんと閉まっていた。昔は(どのくらい昔かは知らないが、)このあたりまで、馬で登ってきていたらしい。その馬をここでとめるから駒止めなのだとか。そんな豆知識も閉まっていれば無意味である。再びだらだらと尾根を歩き堀山の家まで行く。ジュースが100円と書いてあって一瞬ひるむ。鳴海もかなり欲しがっている。しかし今朝の失態のバツとして、ここは歩を進めることにした。しばらく急な登りが続き、鳴海のテンションはどんどん下がっていく。約一時間歩き300ちょいアップ。ついた花立山荘はかなりの絶景である。ここで長めの一本をとり、カキ氷を食すことに。うますぎる。さいこう。鳴海のテンションも戻り少し肌寒くなってきた頃に再び出発。

 目指す塔の岳は約200アップである。これもやばい。すれ違う中高年登山者に対して鳴海はもうやけくそ。無理矢理に、でかい声であいさつしている。それを見るのは結構おもしろいが、よく見ると柳瀬もけっこうやばそうである。確かに、決して楽ではないのだけれど...そんなこんなで13時16分山頂到着。ピークは人がいっぱいだが、うなずけるような絶景。富士山が美しい。軽く休んで写真を撮る。新歓でもそうだったが、鳴海は写真にあまり写りたがらない。安倍なんてすぐに変なポーズをとるのに。

 いくつかのポコを超えていよいよ丹沢山につく。だだっ広いピークであるが、ここを踏めば、百名山に登ったことになる。「さぁ、写真!」と思ったが、なにやらお疲れのようで、しばらく休憩にすることに。差し入れのスポーツドリンクを与えてやり、各自リラックス。というか寝ている。ここまでなんとか天気はもっているが、翌日は雨であることは事前の調べでほぼ確実。だが、一応天気図は必要である。16時の天気図をこの先にある休憩所でとることに決めて、具合のいい時間まで休憩をとった。写真を撮る時間をあわせても45分くらいは山頂にいただろうか。だいぶ体力を回復し、休憩所に向け再び出発する。

 ところで、この休憩所なのだが、二年ほど前に行った人の情報ではおじさんが住み着いていたらしい。ご存知の通り丹沢はテント山行禁止である。つまり一泊したければ小屋に泊まらねばならない。貧乏学生にとってはつらいこと。そこで我々は、今回この休憩所に目をつけた。事前調査では人が住めるようなところではないという話なので、おじさんはもう住んでいないことはわかっていた。泊まれないのだろうと覚悟はしていたものの行ってみないとわからない。膝が痛むという鳴海を気づかいながら、ゆっくり歩くこと約30分。

「あ、あれだ」柳瀬が言った。果たして泊まれるのか、三人の緊張が高まる。

 なんと近づいてみると壁が半分なくなっているではないか...一瞬悩んだものの、持ってきた一枚のツェルトでなんとかふさげると判断。Lは天気図を書き、柳瀬と鳴海がツェルトで壁作りをする。この作業をしているころから、だんだんと風が強くなってくる。 発表線を言わなかったので、仕上げに少々てこづったが、「まぁ雨かな」といった感じだ。ある程度風を防ぐ壁が作れたところで食当開始である。Lは近くの水場まで行ってみる。出ているか怪しいということだったが、しっかりと透明な水に出会えた。道は少々急だが、3分ほどで行くことが出来る。ただ周りにゴミがちらほらと見られ、あまり気分のいい水場ではなかった。

 今回の食糧は全て柳瀬に任せていたのだが、かなりうまそうに仕上がっている。その名も、≪イタリアン・ミーツ・マウンテン + パン≫である。実際食べてみると、これがうまい。小屋(?)のど真ん中には、焚き火のあとがあった。火をつけても壁がない部分から煙は出るので、ワインを飲みつつ焚き火をする。どう頑張っても燃え移ることはないので、火をつけたまま、軽く語りつつ就寝。蛙が小屋の外でゲロゲロ言っているのが少し恐かった。 。

<5月16日>
5時半頃にだらだらと起床。気象は最悪である。夜と同じ飯を食い、雨具・スパッツで身を固め、7時15分出発。風も強いので、テンションが上がらない。しかし、あまりに激しい一泊だったためか、振り返っても休憩所が見えなくなってしまうとなんだがさびしい気がした。一同静かなまま一時間ほどで、蛭ヶ岳に到着。丹沢で、神奈川県でも最高峰である蛭ヶ岳だが、山頂はしょぼい。天気も悪いので、一本をとるも誰も写真を撮りたがらない。三人で読図をしつつ、先をたんたんと下る。一時間半ほどで、姫次の分岐へ来るが、風がものすごい。避難小屋に立ち寄って休憩を入れようかとも考えたが、樹林内に入れたので、がんがん進む。945mのポコを巻くように尾根から道が外れるはずが、通り過ぎる。地形図とは少し違うことを皆で確認しつつ、そのまま進む。だんだん北東に寄りはじめ、林道にでたので山靴とお別れをする。林道はぐねぐねしてるので、読図をしつつ町へ向かう。

 途中で会ったおじさんに、銭湯はないのかと聞くと、あっさり「ない」と言われる。へこみながらも、なんとか見つけた旅館で風呂に入らせてもらう。そのまま旅館で飯を食べ、ビールで打ち上げ。目の前にあったバス停からバスに乗り、爆睡しながら東京へと帰るのだった。

鳴海には初めての縦走となったのだが、このワンダリングが少しでも錬成に活かされていたらと思う。自分も初Lだったけど、休憩所に泊まるという濃いワンダリングができてよかった。これからもいろんなことに挑戦していきたいと思う。二人ともおつかれさま。 。

(春田)
 

Waseda Wander Vogel

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早稲田大学ワンダーフォーゲル部の公式HPです。

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