10月15日
部室=会津高原尾瀬口=会津駒ヶ岳登山口
66代が始まることを実感する。
残念ながら新人濱田は腹痛の為不参加となる。どうも、少し前に食べたメンチカツが当たったらしい。濱田は一人暮らしの為残していくのが不安だったが、幸いながらコーチの長友さんや吉村さんが濱田のことを見守ってくださることとなった。
尾瀬は天候的には16日以外は良好の予想。16日はかなり気温が下がる予想のため、雪が降らないことを願う。
早稲田駅から会津高原尾瀬口まで電車に乗り、タクシーで登山口まで向かう。タクシーの方から東日本大震災の影響で会津高原尾瀬口から会津若松駅まで繋ぐ路線が無くなってしまったことを聞く。早く路線が繋がることが地元の人々の悲願らしい。地方に行くと鉄道の存在が人々の暮らしを支えているのを実感する為、なんだか感慨深くなる。
10月16日
会津駒ヶ岳登山口-会津駒ヶ岳-大杉岳C1
6時に行動を開始する。山頂まではひたすら登りが続く。台風の影響が心配だったがとても紅葉はきれいだった。
山頂では年配の方が多く居て、写真を撮ってもらった。
新人の山座同定に時間がかかる。どうも感覚的に遠くの地形の地形図を照らし合わせるのがまだ苦手らしい。
大杉岳に向かう途中電波塔を見つける。電波塔は青春の匂いがしますと同行して下さっている橋下OBに言うと鼻で笑われた。
本日最後のピークである大杉岳に着くと、予想通りの展望の無さ。今日はここの近くで幕営する。笹薮の中で幕営したこともあり幕営がなかなか終わらない。
膝手術の影響が心配であった君塚は、今のところ特に痛みを感じないようだ。すこしほっとして就寝する。
10月17日
C1-御池ロッジ-燧ケ岳-尾瀬ヶ原-山の鼻キャンプ場C2
久しぶりのエレキ行動から始まる。個人的にナイトハイクは好きなのでテンションが上がる。
御池ロッジに着き給水を行う。予想以上の下界感に皆ざわざわする。一番前でslである小林が「下山したくなってきた」と言ってはいけない一言を言ってしまう。slが言ったらダメだろ。今合宿で三本指に入るイラッとした出来事だった。
気持ちを切り替え燧ケ岳に向かう。徐々に雲量が増えていく。しばらく、小雨が続いたあとなんと白い悪魔が降臨した。あられまじりの雪が降る。新人もびっくりする。
山頂付近はガスで視界が悪くなり、トップの吉岡と小林がルートを間違いかける。風が強くなり、秋合宿とは思えない世界が広がる。まさか、ここまで雪が降るとは思わなかった。おそらく、初冠雪であろう。
燧ケ岳山頂からの下りはかなり荒れているということもあり2年小林に新人を任せ、雪道でも問題が無いか橋下さんと私で調査に出る。少し下ると風が弱くなり、思ったよりも雪が少なくしばらくは道もしっかりしていて安心する。
2時間程歩くとところどころ道が崩れたところもあり、できる限り早く行動することにした。長く斜度もきつい下りはかなり足を疲弊したようで、新人にも疲労の顔が垣間見れる。
遂に尾瀬ヶ原にたどり着く。
しかし、残念ながら空は雲が広がり曇天の中での行動。心の中で晴れろよ!と山の神様に願う。
願いが通じたのか晴れ間が覗く!雲の切れ間あるいは端から光が漏れ、光線の柱が放射状に地上へ降り注いで見える現象のことを天使の梯子というらしいがまさに天使が下りているような光景だった。
しかし、なぜか鬼の様なペースで尾瀬ヶ原を通過しようとする原。君塚も「あれ、ここが一番の見どころじゃないんですか?」とあきれる。比呂と福島は足が痛いとわめいていたこともあり、ペースを落とさせる。後に二人は登山靴のインソールを忘れていたと自白した。
振り返ると燧ケ岳がよく晴れていた。燧ケ岳にいる時は全く展望が無かった為、正直登った気がしなかった。晴れた日に行きかったと皆言っていた。どうも、新人の中で尾瀬ヶ原派(洪、吉岡)と燧ケ岳派(比呂、福島)で山の趣味が分かれていたらしく、騒いでいた。なんだか微笑ましい。
16時10分頃、山の鼻キャンプ場に着く。先日よりも設営は良くなっていた。夜空を見ると満点の星空が広がっていた。
10月18日
C2-至仏山-鳩待峠(64代橋下さん、新人君塚下山)-アヤメ平-白尾山付近C3
朝は道が凍結している所もあると聞いていたので、少し遅くして行動を開始した。放射冷却のせいもあり、テントが少し凍っていた。昨日の雪や霜、そして至仏山は蛇紋岩という滑りやすい岩があるためかなり滑りやすかった。森林限界を超えて振り返ると白く染まった尾瀬の風景が広がる。
遂に山頂に辿り着く。流石に土曜日ということもあり人が多く、少し気が引けたが式典を行う。
そして、鳩待峠に下っていく。64代橋下さんと新人君塚とはお別れ。まだ、膝も本調子では無いため秋合宿は途中までの参加となったが秋合宿で初めて長期縦走を経験することが出来た。なかなか、活動に参加できず大変だったと思うがここまで続けてくれたことがとても嬉しい。活動経験は少ないが、つらい時期を乗り越えた分この先誰よりも成長できるはずだ。
又、ここまで合宿を支えてくれた橋下さんには本当に感謝したい。合宿中は色々な面でサポート頂いた。余談ではあるが橋下さんは、あまりの優しさから現役に神と崇められている存在になっている。
またしても、鳩待峠の下山感にやられかけたのでアヤメ平に急ぐ。
一面の尾瀬と青い空だけの世界。私の死に場所候補がまた増えた。
テントは小林念願の女子テントと男子テントに分けた。嬉しすぎたせいか、食当中も女子テントがうるさかったので喝を入れる。事故だけは起こしてほしくない。
10月19日
C3-皿伏山-尾瀬沼-大江湿原-小松湿原付近のコルC4
羽田野の読図が中々上達しなかったので、今日は何としてでも読図技術を上げると決める。最初の方で檄を飛ばしたこともあり、徐々に読図の正確さが上がる。やれば出来るね。皿伏山は本当に皿のような山で平坦な道が続く。かなり渋めだが意外と好みだった。
しばらく、歩き大清水平で休憩する。少し皆から離れて写真を撮っていると羽田野が湿原の中を歩いていた。あれだけ湿原を巡ってきたのに木道以外を歩くことが禁止と知らなかったらしい。。福島が湿原は歩いちゃダメだよと冷静に注意する。福島も成長したなあ。
遂に尾瀬沼に着く。尾瀬沼に燧ケ岳が移り幻想的な景色であった。しかし、小林が安定の景色スルー。そのまま、通り過ぎようとしたのを食い止める。この娘の瞳には世界はどのように見えるのだろうか?「どうせ、この後も尾瀬沼見えるからいいじゃないですか。」と言ってきた。実は今合宿一番ムカついた出来事だった。
その後は尾瀬沼から離れ鬼怒沼山に向かう。
途中でまたしても電波塔に出会う。エアリアを確認すると初日の電波塔に繋がっていることが分かり、嬉しくなる。
小松湿原近くのコルには15時頃到着する。水場を探すのに時間がかかったが、無事に給水できた。
時間があったので、ロープワークの確認と肩がらみの懸垂、ザック搬送の練習を行った。ロープワークを忘れている新人も居たためいい練習になった。
最終夜はいい宴となった。
10月20日
C4-鬼怒沼山-鬼怒沼-女夫渕温泉
朝は栗ごはんとサバ缶、味噌汁という豪華な組み合わせであった。秋合宿は全体的に料理のクオリティが高い。新人も食当が上手い。
鬼怒沼山でもう一度式典を行う。合宿に来れなかった濱田の家があるだろう方角を向いて、福島が濱田と叫ぶ。渋くていい声であった。都の西北の最後の方にある歌詞が好きだ。
〝集まり散じて 人は変われど 仰ぐは同じき 理想の光″
ワンゲルに入って2年半、人は入っては抜けていった。一緒に登る人は変わる。そして、人も変わっていくけれど、やはり目指すことは変わらない。馬鹿で不器用で、真面目で、面倒くさい奴らばっかだけど、最高にいい奴らと最高にいい活動をする。簡単なようで、凄く難しいけれど。
鬼怒沼は新人の頃に来たことがあった。2年ぶりである。
ソロ写真を撮ろうとすると顔を隠すので、名前を呼んで振り返させた時の一枚。2年一人で大変だったと思うが、ここまで良く頑張ってくれた。本当に頼りがいのある2年になった。ありがとう。
下りは秋らしい紅葉が黄色く彩っていた。新人もたくましくなったね。
女夫渕温泉近くの遊歩道は所々閉鎖した道もあり分かりにくかった。バスの時間が差し迫っていたこともあり、かなり飛ばして歩いた。ちょっと飛ばしすぎたと反省する。
秋合宿では様々な景色の山があった。木々の紅葉が綺麗だった会津駒ヶ岳、岩でごつごつしていた燧ケ岳、果てしなく草原が広がる尾瀬ヶ原、木々が少なく尾瀬全体を見渡せる至仏山、海と勘違いするような広い水面が広がる尾瀬沼、渋めの山々が続く鬼怒沼。様々な景色や道を経験することができた。後輩にはこの経験を糧に自分なりの目指す山やルートを考えてほしい。やはり、上級生が少ないということで運営面で課題を感じた。私自身もこの経験を糧に今後の活動を展開したいと思う。
66代としていいスタートを切ることが出来た。後輩たちもとても成長してくれた。錬成以上の団配を持ちながらも、係活動やトップと2年並の行動が出来ていた。
来年の春合宿にまた尾瀬に戻ってこれるよう頑張りたい。
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