75代年間方針『成長』

 

穂高岳 2005/9/17-19

登山・縦走

穂高ワンダリング報告書

日時:2005年9月17-19日
メンバー:L廣光 SL米山 池田 安岡

地形図:上高地・穂高岳〔1:25000〕
 


 
9/17 (約5h)
5:50上高地-7:10徳沢-8:10横尾-9:13本谷橋-10:56涸沢

9/18 (約10.5h)
4:30涸沢-6:20穂高岳山荘-7:10奧穂高岳7:30-8:00穂高岳山荘9:30-12:37北穂高13:10-15:00涸沢

9/19 (約4h)
6:45涸沢-7:45屏風のコル-10:30徳沢-11:45上高地
 


 
<9月17日>
朝靄の中、上高地着。夏山と紅葉の間の比較的人の少ない季節ではあるが、相変わらずの人の多さである。この三連休は晴れるという予報通り、まずまずの天気。横尾まで二本程度でさくさくと進んでいく。横尾からは槍沢へ行く登山客がいなくなり、急に人が少なくなった。本谷橋まで一本、さらにもう一本半で涸沢着。心配していた安岡の膝の様子も問題ないようだ。昼前に着いたので、小屋でソフトクリームやおでんを頬張り、まったりとした時間を過ごす。穂高の稜線は曇っているが、明日は晴れるのだろうか。晩飯のキムチスープが辛すぎて、安岡が苦しむ。食袋作りは池田だったが、勢いでかなり辛いものを持って来ていたようだ。最近のワンゲルでは様々な差し入れなどにより、一部で激辛嗜好の者が増えているようだが、通常の味覚を主張する部員との共存が危惧される。

<9月18日>
345。Lが適当に薦めたマロニー入りワカメスープに皆ハマリ気味。自分が新人の頃よくメニューに入れていたが、そう言えばハマらなかったためしがない。まあ一番の原因はラードにあるのだが。4:30、まだ外が暗い中、エレキ行動で穂高を目指す。 個人的にはこの時間が、人も少なく、空気が清々しくて一番好きな時間だ。薄暗い稜線の向こうに朝日の昇るのを待ちながら、今日一日の行動に胸をときめかす。調度一本ぐらいで御来光がゆっくりと姿をあらわしたきた。一見冗談のような太陽の赤さが強く瞼に残る。ここからはザイテングラートの取り付きだが、あり得ないことに左のあずき沢の方に少々入ってしまう。一見そちら側にも道のようなものが付いており、Lも写真を撮るのに夢中で気が付かなかった。完全なミスであり、落石も危険だったので、すぐに入れるところから登山道に戻る。トップのルーファイに少々不安が感じられる。気を取り直して下山客の多い道を登り、出発から二時間弱で穂高岳山荘に着いた。

 山荘にL以外は荷物を置いて、空身で穂高岳ピストン開始。小屋からのいきなりの急騰で大渋滞しているのに、少々面食らう。少し高度を上げると荘厳な笠ヶ岳の姿が目に飛び込んでくる。そして稜線の向こうには槍ヶ岳。運良く天気が晴れ、抜群の展望が広がり、最高に楽しい気分。もうすぐ山頂というところで、不意に右手側(新穂高温泉方面)のガスの上に、なんと御来迎が出現!!黎明の清々しい空の下、笠ヶ岳の斜面に映し出される虹の輪は、場合によっては三重にもなり、北アルプスの山々と共に織り成される風景は、まさに神秘的としか言いようがない。メンバー全員が興奮しながら、そのまま奥穂高岳山頂着。手を振れば虹の中のブロッケンの妖怪が手を振り返してくれる。

 しばしこの最高の展望を楽しんだ後、登山客でごった返すピークで記念撮影。池田は北岳でもブロッケンは見たことがあるらしいので、残るは富士山の頂上か。ガスに覆われたジャンダルムの上には、三人の人が立っているのが幽かに見えた。だんだんガスも濃くなってきたのでサクッと穂高岳山荘に戻る。しかし、ここから北穂高岳までは危険箇所が続き不安なので、しばらくガスと風の様子を見て、行くかどうか判断することにする。結局一時間ほど小屋でゆっくりした後、あまりにも危なそうなら戻るということにして、予定通り涸沢岳へ向けて出発。頂上まではあっという間だが、本番はここから先。ピークを少し過ぎるといきなり垂直の下りが始まる。安岡に行けるかどうか再確認すると、引きつった表情で「行きます」と一言。非常に心配なリアクションだったが、ザックもピストン装備で軽いので、頑張って進むことにする。

 ここから北穂高岳までは、コースタイムで2時間半の行程だが、鎖の付いた切れた斜面をトラバースしたり、ほぼ垂直の斜面を登り降りしたりと、なかなかスリル満点の道が続く。しかも三連休ということで、すれ違う登山客の数も半端なく多く、すぐに渋滞を起こすので、危険箇所の緊張と相まって精神的にかなり消耗させられる。そうこうしていると、事故があったのかヘリが飛んできて、せわしなく空を舞っている。前穂~明神岳のあたりで滑落があったらしく(但しソースは通行人の会話)そのあたりをホバリングしていた。そして緊張を強いられる稜線をひたすら進み、渋滞の待ち時間も含め、ほぼコースタイム通りになんとか北穂高岳への分岐に到着。しかし、ここの下りで池田が膝を亜脱臼したらしく、少し痛がっている。本人曰くよくあることで、サポーターをしていればひどい外れ方もしないので大丈夫ということだが、これからの下りを考えるとやはり心配である。

 分岐から北穂高岳までは、僅かな登り。池田も普通に歩けるようなので、とりあえず頂上へ向かう。ピークからはキレットから西側がガスって、槍ヶ岳が見えなかったのが少々残念であるが、常念の展望は相変わらず良い。危険箇所を越えた安心感からか、比較的長い休憩を取ってしまった。展望を楽しみ、写真を撮って、いよいよ涸沢のベースへ下山開始。池田の膝のこともあり、2時間ほどのややスローペースでテン場に到着する。晩飯はハッシュドビーフ。途中でとなりのV8のおじさんが間違ってうちのV6にやってきて、「おいおい、みんな(勢いが)死んでるよ」と言われたのが衝撃的だった。むしろあなた達の方が、騒ぎ過ぎですから・・・。そして今宵はなんと言っても中秋の名月。静寂の中、前穂の上に懸かる満月は、とても風流かつ幻想的だった。

<9月19日>
5:00起床。朝起きると、昨日小屋でやっていた天気予報に反して外は雨。接近していた高気圧が西側に戻るという変な動き方をしていたことも関係あるのだろうか。今日は登りとは別の、屏風岩のコルを経由するパノラマコースで下山する。しかしこのコルまでは絶壁のトラバースをいくらか通過しなければならず、予想以上に危険な道だった。エアリアにも書いてあるが、こんな道を雪のあるときに通れば間違いなく滑落するだろう。コルの少し手前では、涸沢に虹が懸かっているのが見えた。今回の山行はなかなか運が良い。

 コルからは二時間ほど黙々と下り、新村橋を経由して徳沢へ。徳沢-明神-上高地の道は相変わらず人が多く、少々げんなりさせられる。サクサクと一時間半ほど歩き、河童橋に着いたころには、天気もだいぶ回復していた。アルペンホテルで入浴し、近くの食堂で昼飯を食べて軽く打上げ。こうして二泊三日の快適山行は終了した。

(hiromitsu)
 


 
穂高岳ワンダリング日記(新人池田)

<9月16日(C0)>

 午前10時半、学校に到着。集合は午後4時なのだが、食袋作成のため早めに来ることにしたのである。今回は初めて一人で食料係を務めることになった。少し不安。そう思ったのは本人だけではなかったのか、買い出しにはL廣光さんもついて来てくださった。とりあえずはじめに一人で材料を集めてみるよう指示を受ける。メニューはだいたい決めておいたのでそれに入れるべき食材を調達…していたつもりなのだが早速L廣光さんからご指摘が…。「ネギはないだろ!」 (やっぱだめッスか…)

 それ以外は特に問題なく買い出し終了。部室に帰り、袋に食材を詰め込んだり、パッキングの最終チェックを行なったりと雑務に追われているとあっという間に時間が過ぎてしまった。渋滞に巻き込まれたせいで予定より30分ほど遅れてタマちゃんのお母さんが運転する車が到着。部室に残る先輩たちの暖かい見送りを背にいざ出発。長い長い車の旅の始まりである。途中何度かSAに寄りながら目的地上高地を目指す。何回目かのSAでの休憩の後なんとタマちゃんが運転することに!後部座席3人(廣光さん、米山さん、僕)に緊張が走る。スタート直後早々に一瞬危うい運転をしたときには後部座席にいよいよもって(本当に大丈夫なんだろうか?)という空気が流れるも、その後はなかなかの腕前で、快調に車を走らせる。それにしても、年齢的にはひとつ年下の女の子が車を運転している光景にはやはり違和感を禁じえなかったが…。まぁ、結局はドライバーが頑張るなか後ろ3人は安心してゆっくりと眠らせていただいた。

 六時間ほどの長丁場を終えて、車は上高地付近の駐車場に到着。今夜はここでビバーク。僕は車の下にもぐって寝ると公言し、ほか三人を呆れさせる。体半分入ってから衝撃の事実に気付く。 これって寝返りうてないジャン!!  結果、廣光さんに「愚か者」のレッテルを貼られるが、ここでやめたら負けだと思って(何にだよ!?)そのまま粘って寝る。

<9月17日(C1)>

 午前4時起床。昨夜ガラガラだった駐車場は、深夜我々よりも遅くに訪れた登山客たちの車でかなり埋まっていた。おかげで騒々しくてあまり深くは眠れなかった。夏場の蚊に比べたら遥かにマシではあるが…。 まだ薄暗いなか簡単に朝食を済ませると、もう上高地行きのタクシーが出ているということでタマちゃんのお母さん含め全員で乗り込み、河童橋へ。 まだまだ早朝だというのにもかかわらず、すでにたくさんの登山客が到着しており、皆思い思いに出発の準備をしている。ここで一旦タマちゃんのお母さんと別れ、別行動することになる。

 支度を済ませ、B.C地である涸沢ヒュッテ目指して意気揚々と出発。天気は晴れ。上高地から横尾までの間はほとんど平坦な道が続く。訪れる人が多いためだろう、道はきれいに整備されている。少々物足りない感はあったが、程よく木々に囲まれたなか、早朝の冷たくて心地よい空気を吸いながら歩くのはなんとも気持ちのよいことであった。梓川に沿って進む途中左手に屏風岩を幾度か望み、2時間ちょっとで一気に横尾まで突き進む。

 横尾を過ぎたあたりからようやく少しは登山道らしくなってきたが、相変わらず等高線に対し平行に歩いているため、アップダウンはほとんどない。このあたりから意外と人の数も減ってきたのでみんなで歌を歌いながら歩く。やっぱり山で歌うのはいいなぁ。しかし歌ってばかりはいられない。山といえば読図である。夏以来少しだけコツをつかみかけた気がするのでわりと正確に現在地を言い当てることができた。しかし周りの地形から判断するという技術はまだまだ身についていない。読図は命にもかかわる重要なスキルであるから早くマスターしたいものだ。幕場に近づくにつれ少しずつ傾斜が増しはしたがなんと言うこともなくサクサク進み、11時には涸沢に着いてしまった。 それからはなんと16時まで自由時間となった。そこでみんなで涸沢小屋に行ってまったり。先輩に名物のソフトクリームをおごっていただく。その後タマちゃんのお母さんと再会。話を聞くとなんと我々より少しだけ早く着いていらしたようだ。うーん、おそるべし。おでんをご馳走していただき、楽しくゆったりとした時間を過ごす。

 テントに戻り食当開始。今夜のメニューは夏合宿チャリ隊ですっかり定番になったキムチ鍋。辛いものが苦手というタマちゃんもこれなら好きになってくれるはずと思い、メニューに加えてみたのだ。しかし、袋にもろに「辛口」、「ハバネロ使用」などと書いてあるのに気付かず買ってしまったため、食当自体はうまくいったものの辛い物好きの僕でさえ、かなり辛いと思うような代物が出来上がってしまった。当然タマちゃんはつらそう…。ホントにごめん!ここで教訓『食料係よ、万人のためにあれ!』 翌日は345ということでその日はT.P後、早々に就寝。

<9月18日(C2)>

 午前3時起床。朝食はわかめスープ。人数が合宿時に比べ、4人と少ないため、わりと早く出来上がる。Lの薦めで入れたマロニーはおいしかったが、わかめスープとラードのコラボは噂通りなかなか凄まじいものがあり、それほど量が多いわけでもないのにハマりそうになる。 食事を終え、ピストン個装の支度を済ませてテントの外へ。時刻は4時半。あたりはまだ暗いため、エレキをつけての行動となる。暗いなかでの行動は高校以来だったのでなんだか懐かしい。ご来光を心待ちにするこの瞬間も悪くないものである。 一本直後、稜線の向こうから目覚めたばかりの太陽が徐々にその姿をあらわしはじめ、山肌に優しく光をそそぎだした。それにしても不気味なまでに紅い。しばしその光景に眼と心を奪われる。そこで遠く東に見える形のよい山が常念岳であることをL廣光さんに教えていただく。

 続いてザイテングラートを登っていくわけだが、どうやらルートをミスってしまったらしく登山道から外れる。その道がなかなかひどいガレ場で、僕は小さい落石を何度か起こしてしまってはLに叱られていた。そんなひどい道を悪戦苦闘しながら登っていくと、はるか上方から不気味な音が。目をそちらに向けると人間の2,3倍はあろうかというような大岩がこちらめがけてすごい勢いで転がってきているではあーりませんか!! (あぁ、これは新手のギャグかなんかだ。そうにちがいない…)目の前の事実を認めたくない僕は無意識にこんな場違いなことを思っていた。「よけろ!」というLの声でようやく我に返った僕は左に身をかわす。すさまじいエネルギーを秘めた大岩は、前を歩く米山さん、タマちゃんの右側を通過し、僕と廣光さんの間を掠めていった。僕らがもといた場所にピンポイントで転がってきていたため、よけていなければ確実に惨事になっていただろう。

 この後、早々に登山道に戻り、ほっと一息。登山道の歩きやすさと安全さをかみ締める。そこからは順調に登り、出発から2時間足らずで穂高岳山荘にたどり着く。 ここでLの指示によりL以外は全員小屋の前にザックを置いて空身で奥穂山頂までいけることに。もともとピストン個装だったからそれほど苦ではなかったが、それでもやはり空身は嬉しい。 そして、「いざ奥穂へ!」と思って南方へ視線を移すと、あまりの登山客の多さから大渋滞が起こっていた。その光景は餌に群がるアリの行軍そっくりである。思わずげんなり。山屋にとって奥穂登頂は、アリにとっての餌に匹敵するほど甘美な魅力があるのだろう。

 気を取り直して登頂を開始する。早朝のためか、僕(=晴れ男)がいるからだろうか、なかなかに良い天気である。(調子に乗りすぎですね、はい) 登っていくうちに後方を振り返ると北アの山々の壮大な展望がひろがっていた。L廣光さんが「あれが笠ヶ岳で、奥に見えるのが黒部五郎岳」と、色々と親身に教えてくださった。それにしても廣光さんと行く山行は勉強になる。僕も早くワンゲラーとして相応しいだけの知識を身につけたいものである。 しかし、北アルプス初体験の僕にもひとつだけそれとすぐにわかった山があった。もちろん槍ヶ岳である。実物ははじめて見たが本当に槍の穂先のように尖っている。 素晴らしい景色に全員気分も上々でさらに登っていく。すると、我々の日ごろの行いが良いからだろうか、さらに嬉しい出来事が起こった。なんとブロッケン現象を見ることができたのである。それもこのブロッケン、ただのブロッケンではない。通常ブロッケン現象といえばガスの上に虹が円く映り、その中心に自分の影が入って見える現象である。しかし、このブロッケン、その虹が普通ではないのだ。なんと3重にもなって見えることがあるのだ。

 ブロッケンが見えるようになってまもなく奥穂山頂にたどり着いた。おかげで珍しい現象を目の当たりにした歓びと登頂の興奮を同時に味わうことができた。全員しばし山頂の展望となおも続くブロッケン現象にうっとり。ちなみに僕は高校のときに北岳山頂でもこの現象を運良く見ることができていた。要するに日本のベスト2,3の山でお目にかかっているのである。それもどちらも一度しか登ったことがないのにもかかわらず。どうやら自分は単なる「晴れ男」という称号だけでは収まらないらしい。これからは「ラッキーボーイ池田」とでも鞍替えしようか。(だから調子に乗り過ぎだって!いい加減にしとけ、自分)  愚か者の戯言はお聞き苦しいでしょうからこの辺にして。とにかくこの展望は最高だった。…のだが、山頂の寒さを完全にナメていたようだ。つか寒すぎっ!それもそのはず、僕はこの時上半身はウーシー(ウール下着)一枚のみという格好だったのだから。実は山荘でそのままの格好で登ろうとした僕にLが「山頂は寒いからもっと着込んだほうがいいぞ」ともっともな助言をしてくださっていたのだ。にもかかわらずこの愚か者、「いやぁ、全然余裕ッスよぉ。自分寒さに強いですから」などとほざいていたのである。要するに全くの自業自得なのだ。しかしあれだけの大見得をきったのだからせめて表面上だけでも平気そうなフリをしていようと一人やせ我慢。愚の骨頂である。

 山頂での記念撮影などを済ますとすぐに下山。下りの方がはしごの順番待ちが長い気がする。それにもめげず、下る。すると登ってくる人の中に見覚えのある顔が。無論、タマちゃんのお母さんである。少しの間再会を喜んだ後、一気に山荘まで戻る。 山荘に戻ってしばらくしてから涸沢岳経由で北穂のほうに向かう予定だったが、かなりの強風が吹いていたため、しばらく山荘で様子を見ることに。 一時間以上待ってみたが、いっこうに吹き止む様子はない。そうこうするうちに、奥穂から下山してきたタマちゃんのお母さんと再度合流。温かいお茶をご馳走になる。冷えた体に本当にありがたかった。 結局、L判断で涸沢岳までは行ってみて、そこから先は行けそうならば行こうということになった。

 山頂までは本当にあっという間だった。で、そこから先の道を見てみたのだが…正直これはヤバイと思った。ほとんど垂直に降りていくようなみちが相当長く続いていることがここから見た限りでも分かるのだ。気を引き締めないで行ったら普通に死ねるだろうと思われる道なのである。一同(少なくとも新人2人は間違いなく)ビビりまくり。 しかしここまで来たのだからと勇気を振り絞って前進。(ちなみにタマちゃんのお母さんとはここでお別れ)危ない所は三点支持を意識しながら慎重に下っていく。するとさっき思っていたよりは楽ではあったが、それでも緊張の糸を弛めることはできない。それと渋滞からのストレスが相まって、どっと疲れがたまる。しかし、こんな危険な道であるというのにすれ違うおばさんたちは涼しい表情。なかには談笑しながら余裕そうに進むつわものまでいる。彼女らとは精神構造が違うのだということを再度認識。あの胆の据わりかたには脱帽である。

 そのまま何とか下り終え、最低コルにたどり着く。しかしその先もなかなかに険しい上りではある。とはいっても下りよりははるかに楽でスイスイ進める…はずだったのだが、ここでとてつもない渋滞に巻き込まれる。二、三十分待ちを強いられる。それにも負けず、めげずに前進する。けれども、脚に疲れがたまっていたのか、この後の下りで右ひざをひねり、亜脱臼してしまう。高校時代、柔道で靭帯を切った後遺症である。しかし、念のためサポーターをしていたのが幸いして症状は軽い。何とかいけそうなので北穂登頂を目指す 無事、北穂山頂へ。歓びをかみしめ、しばし休息。残念ながら槍ヶ岳はガスに隠れて見えなかったが、それでもなかなかの展望。しばらく堪能してから下山。下りは少し膝が痛み、少々ペースダウン。それでも頑張って一気に下り、なつかしのB.C涸沢へ。少しの間休憩してから、食当の準備にかかる。

 今日のメニューはハッシュ・ド・「ベーコン」。今回もなかなかに早く美味しく作ることができた。夏までの成果で、少しずつでも向上の兆しが見られるのはやはりうれしい。 その後のT.Pでは両先輩がお酒を差し入れしてくださった。疲れていたのか、それほど量を飲んだわけでもないのに早々に酔う。どうも山では酔いがまわりやすい気がする。その後、ひとりテンションは最高潮に。他の人は眠たそう。最初のうちは構ってくれていたがそのうち呆れてしまったのか、僕をほっといてみんなさっさと寝てしまった。仕方なくふて寝。

<9月19日>

 午前5時起床。早速今ワンダリングラストの食当にかかる。今朝はオーソドックスに味噌汁。今回も成功。なかなか良い感じである。さっさとメシをすませて外に這い出すとほんの少しであるが小雨がぱらついている。残念だが雨の中行動しなければならなそうだ。 早々に撤収にかかり、雨具を着て出発。ルートは行きとは変わって屏風岩の南西を通るパノラマラインで下る。その行程が思っていたより危険な箇所が点在し、昨日ほどではないがビクビク。先輩に指導していただく読図チェックにもビクビク。 しかし、一本をとるころには道もよくなり、雨もあがった。おまけにいい事は更に続き、涸沢の方に虹が架かっているのが見えた。実に良いワンダリングである。しかもこの道、昨日の道とはうって変わって他の登山客がほとんどいないのである。 となれば、「人がいない=歌う」という方程式が自分のなかで出来上がっている僕は当然歌いまくる。(まぁ、いても歌いますけど)痛めた足も今日はどうやらいけそうだ。そのまま一気に下っていく。

 徳沢手前の新村橋を渡ると、行きの道に合流。ここから再び登山客の行軍に加わらねばならなくなる。そのまま徳沢まで行き一本。 徳沢からは一本道で間違えようはずもないということで、僕にトップを任せていただけることに。トップの気分だけは味わえた。そのまま上高地のバスターミナルまで他の登山客をごぼう抜きにしてハイスピードで突き進む。 バスターミナルでタマちゃんのお母さんと合流し、りんごをいただく。ほおばりながら温泉に直行。言うまでもないが下山後の温泉は最高である。その入浴後に飲むビンビンに冷えた牛乳は更に格別だが。(はっきり言って世界一うまい飲み物だと思う。Viva牛乳!)

 その後昼食をとって、車のあるところまでタクシーで移動。 そこから東京までは、行きと同じくタマ母娘の運転で帰ることに。疲れているはずなのに素直にすごいなぁと思った。おまけに連休明けの渋滞に巻き込まれ、すごい長丁場になる。早稲田についたのはおそらく10時前後になっていたと思う。本当にお疲れ様でした。ここで一応解散だったのだが、僕は実家がタマちゃん宅と同郷だということでそのまま家まで送っていただけることに。わざわざ家の本当に近くまで送っていただきました。

 最後に、たくさんのご馳走をしてくださり、行き帰りの車まで出していただいたタマちゃんのお母さん、おかげで本当に良いワンダリングになりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。もちろん疲れているなか運転してくれたタマちゃんもね。ありがとう。

(ikeda)
 

 

Waseda Wander Vogel

Waseda Wander Vogel

早稲田大学ワンダーフォーゲル部の公式HPです。

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