伊藤・相馬フォロー雲取山ワンダリング報告書
11月2~5日
L春田 SL鳴海 栗原 池田 伊藤 相馬
主旨:新人伊藤・相馬の初山行!
~ワンゲルの魅力を体験するとともに、秋合宿にむけて基礎的な山岳経験を積む~
11/2
早稲田=白丸(S.B)
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白丸=奥多摩0830=0906鴨沢0950-1100小袖付近1112-1212尾根に出る少し前1222-1342七ツ石小屋1402-1520奥多摩小屋
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奥多摩小屋0815-0951雲取山頂1015-1110…1120-1242三条の湯
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三条の湯0915-1007…1017-1117…1127-1218…1228-1243お祭の民宿
<11/2(C0)>
相馬と鳴海は早いうちから準備を行っていたようで、わりと余裕をもって準備していたようだ。逆に洋平と栗原はうまく連絡がとれておらず、部室でひと悶着あったようだ。22時を過ぎる前に、部室を出発でき、予定の最終電車よりちょい早い東西線に乗ることができた。中野で乗り換え立川へ、そして白丸へ向かい、白丸駅のふもとの公園の消防団の車庫の前でステビした。雨だと逃げ場はないが、晴れていたし、ぐっすり眠れた。
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7時起床。30分までに準備を終わらせるようにと昨晩から告げてあったので、新人もせかせかと準備している。時間より早く終わったので、奥多摩駅に向けていざ出発。新人はこれがはじめての行動となる。車も多いので、一列となり一同無言の行進である。30分ちょい位で奥多摩まで達した。青梅警察の山岳警備隊の方々が、登山計画書の提出の呼びかけをしていて、駅のポストに入れる予定だったものを届けにいった。挨拶をし、山行の内容を説明していると、当然「早稲田のワンゲル」ということで、ある一つの話題で持ちきりに・・・。その後がんばっているのか?と聞かれたので、「はい!」などと答えていると、奥多摩ビジターセンターのバッジを人数分と、ピーポくんのロゴ入りタオルを2つ差し入れてくれた。有り難いようなそうでないような・・・。タオルはじゃんけんの末池田と相馬がゲットした。唯一電車で朝一に来た栗原と合流し、丹波行きのバスに乗車。いざ鴨沢へ。
鴨沢についてからは、登山靴をしっかりと履き、地形図やコンパスの見方・使い方の確認、そして、団体装備の確認や、昨晩出来なかった天気図のチェックなどもろもろのことを新人と行い、余裕をたっぷりとってスタートした。オーダーは、栗相鳴伊池春。2人の新人に気を配りながら、2年はこれでもかと後ろを振り返る方式で進ませる。2年生は、読図の指導などわりと細かくやっていてこちらから口を出さねばならないことはなかった。鴨沢といえば、思い出すのは2年前のワンダリングだ。今回と同じルートであったはずだったが、なんと道路に出て再び登山道へ入るところを間違え、ひたすら稜線を藪こぎするルートに迷い込んでしまったのだ。といっても若干のふみ跡はある道といえば道というところであったが。その入り口だけは間違えないように後ろから見ていたのだが、なんと正解(右)でも前回の間違い(真ん中)でもない方向(左)に栗原が進んでいく。本人を呼んで確かめさせようとすると、どうも地図がそうなっていると皆がいう。どれどれと、見直すと確かにそう読めなくもない。ただ、道は確実に、稜線の右側を巻いていくようについているのだから、わざわざ左側から入っていく必要はなかろうに…。左手の道路の先にあるあやしげなはしごが気になっている栗原は見に行くと言い残し、ひとり行ってしまうので、待機して結果を待つことにし、コールが聞こえたので、とりあえず元の分岐に戻る。そして、栗原が道のようなものがあると言っているのを2年前間違った稜線なのだと説明し、右側へと伸びる道路を行くように指示した。しばらくして、登山道の確かな入り口が現れたことで、全員納得できたようだが、地形図の登山道表示と実際の違いに一同ご立腹であった。結構あったりすることなのだが。
さて、稜線を巻くように道は延々と続いている。森林に囲まれて、あまり景色は見えない。鳴海が「こういうところにくると自然に囲まれていいねぇ。」と一言発したあと、思いっきり人工物がたくさんある畑のような場所が出てきた。皆笑った。わりと歩いたので、1本とることに。なにげに初めての登山で、二人は大変そうである。2年前歩いた稜線を巻く道は、特にこれといった特徴はなく、森の中といった感じであった。歌うことしかないと言わんばかりに、池田は歌い放題やっていた。元気で良い。稜線に出てからは少々雰囲気も変わりはしたが、劇的な変化はなく、展望は基本的にさえるものではなかった印象がある。地図上のルートは稜線歩きが長く続くわけではなく、再び左側を巻くような道筋になっていて、完全に尾根のてっぺんを歩くようにはなっていない。しかし、てっぺんを歩く道も出来ているようで、小道との分岐にぶつかる。栗原鳴海は不振に思いつつも、左を選択して進む。納得しているかのように見えたが、栗原がだんだん七ツ石山を巻く沢筋に沿った道に入ってしまったと勘違いし、ビビリハジメル。トップはもっと慎重な発言を心がけてほしいものだが、鳴海がそれと反対の意見を言うので見ていておもしろい。確かにやたらそれている気はしなくもないのだが、どちらにしても小屋へ行く道もあり簡単に対応できることから、特にビビらずに、進ませる。結局道は正しかったと全員が納得したと思いきや、わからずやの栗原は、一人ずっとおかしな見解であった。七ツ石小屋直前に池田が歌い始めてしまい、かわいそうなので、足踏みしながら池田にある程度歌わせてあげる。(後にこれがとんでもない大惨事をうむ。)
13時42分、小屋に到着し、本日の行程が終了する・・・かにみえた。伊藤・相馬は、わりとお疲れの様子で休んでいたのだが、そこに、残念なお知らせが舞い込んだ。七ツ石小屋の親父さんに受付にいったLが挨拶をすると、「あと1時間も歩けば、奥多摩小屋だから・・・。がんばってくれ!」といわれる。「えっ!?」とか言ってみても有無を言わさぬ姿勢で今日はだめというおっさんに理由も確かめられず、引き下がらざるを得なかった。天幕するのに、予約なんかいれるわけはないのに、なんと理不尽な話なのだろう。しかし、普通の感覚からすれば、まだまだ行動できる時間だし、狭い幕場だからこういう措置も仕方ないということなのか?一応上級生を集め、七ツ石は巻いて、出来るだけ早く小屋に到着できるルートを取ることを確認し、新人にそのことを告げたのだった。伊藤のそのときの顔といったら・・・。それを一生忘れることはないだろう。というくらいのリアクションであった。少々長めに休憩を取ることにして、休んでもらったが、理由を聞けてない、2年達は再び自ら親父に交渉に行く。が、やはり有無を言わさず、無理の一点張りの親父の姿勢に理由が聞けない状況であることを理解し、戻ってくるのであった。
再び池田に歌ってもらうのであるが、相変わらずのデカイ声である。そこで、親父が我々をパスした理由は、この休日に、うるさい学生に泊まられては困る、あっちに行け!と思っていたに違いないという説が浮上する。そして、その地位は不動のものに。そりゃあ、小屋につく手前で足踏みしながら大声で歌っていたのだ、拒まれても仕方がないというものだろう。やってくれるぜ、池田よ。七ツ石山は、巻いたもののペースが少し遅く、奥多摩小屋のヘリポートを越え、天場についたのは、15時20分であった。
受付を終わらせると、少々の小雨が降ってきたので、さっさと、みなでテント設営に入る。そのまますぐ食当点火の流れを指示してしまったが、すべてが初めての2人にはもっと余裕を与えてやるべきで、焦らせてしまったことを反省したい。準備でいろいろと確認できなかったせいなのか、下界での訓練時にはないミスが目立ち、手際が悪かった。疲れているせいもあったのだろうが、食当とはそういうときこそ集中して取組まねばならないものだ。一方、食当がなくて暇な池田には今回天気図を持ってきてもらい、栗原と一緒に書いてもらうことにした。栗原の話では、明日は西日本の方に高気圧が出来て、晴れるとのことだった。T.P.で、2人の現在の感想を聞くと、行動は結構疲れたとのこと。さらに、なれない行動のせいか、地図もロクに見れず、返事が出来なかったり、動きも遅くなってしまっているようだ。さきほどの食当もそうだが、疲れているときこそ頑張らなきゃならんのである。てことで頑張ろう!!第一印象ゲームと連想ゲームを適当にこなし、22時には就寝した。洋平は、昨晩は余り寝られなかったようであるし、初めての行動の疲れをとるので睡眠時間は長めにしっかりとった。トイレに出た時に見上げた星空が非常に綺麗であった。
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6時起床。食当点火までには少し時間がかかっていた。洋平が軍手をはめるのをてこずっていたとか。初めてとはこんなものだろう。外はいい天気で最高。早めに、テントを出てみると富士山が非常にきれいであった。「食当がないとやることなんてないっスねー!!」と池田が余裕をぶちかましていたので、少し下の水場に水汲みをしに行った。行動も長くはないので、今のうちにやっておくだけであとで汲み足す必要はない。西の方には南アルプスの山群も見渡せた。本当にいい天気である。
クリームシチューで新人がハマルかと思いきや、二人ともはまらない。これには、全員が意外であった。洋平に普段からこれだけの量を食べているのかと尋ねると、全くそんなことはないと・・・。食べましょう!!
撤収・パッキングはあえて多めに時間を与えてみたが、「ごちそうさま」をして20分以内にはとりあえず完了出来ていたのでまずまずのデキだった。ただ、改善点は多々見られたのと、荷物のわりには余りにも洋平のザックが高すぎたので、やり直させた。 体操を終え、トトロの木像(?)の前で記念撮影をしたあと、08:15に出発した。オーダーは、鳴伊池栗相春とする。池田は真ん中に入ってもらったほうが、バランスが良さそうであることと、各人のポジションを前後にとチェンジした。何の指示も出していなかったが、鳴海が最初の1813mのポコを巻いていくルートを選択してしまう。大きい尾根が伸びているので読図にちょうど良かったのだが・・・。仕方なくトラバースを理解できているかどうかなど、相馬に確認したりしながらして進む。案の定わかっていなかったので、ある意味勉強はできたかな・・。すぐに小雲取を越え、山頂避難小屋が見える。2年生や池田の熱いリクエストに応え、恥ずかしながらも全員で紺碧を山頂まで熱唱する。
09:50問題なく余裕で山頂に到着。数々の山々が見渡せて気持ちがいい。自身3回目の雲取となるが、この景色は初であり嬉しい。時間はたっぷりとあるので、遠くの山々を確認したり、2年生達や廣光からの差し入れを頬張りまったりとしたときを過ごしつつ、人が少なくなるチャンスを待つ。そして、タイミングを見計らい式典をキメル!(鳴海のアツイ希望により☆)秋の奥秩父に一足早く『都の西北』を響かせた。
たっぷりと休憩し、10:15に山頂を発つ。1775mの三条ダルミまでは、池田の歌が炸裂しまくる。1人で連続4,5曲は歌っていた。トラバースルートに入ると読図がなかなかややこしくなる。適当なところで1本とるが、そのあと、地図上の登山道にはないなぞの細い稜線に出くわしたりと、頭を使う場面もあった。新人は、やはり体力的に疲れてくると地図を見ることは出来ないようである。そういうときこそ1本取る際に徹底して地図を見ていこう。三条の湯を目前にして洋平はいよいよへとへとになる。栗原の「休みとりましょう」サインに従い、休もうと試みるが、道幅が狭く適したところなし。仕方なく強引に幕場予定地へ歩を進めた。沢を通るところには、「アイゼンを使用しろ」的なコメントのある看板がかかっていた。
12:42到着。大きな沢が広がるような地形にあって景色がよく、なかなかいい幕場である。しかしテント場らしき広場が見当たらず、小屋で受付をしてみるとなんと20m位下った沢の付近がそうであるらしい。水場は下にあるが、トイレは上でとのこと・・・。この往復はなかなかの運動であった。
さて、時間がたっぷりあるので、テント設営からじっくりと行うことに。2年と新人2人でやってもらうつもりであったが、下界からの評判も良かったので、あえて池田を含めた新人トリオで行ってもらった。当然であるが、池田がうまく指示することが出来ず、また疲れもあってか全体に動き・手際が悪かった。上級生のアドバイスの後作戦タイムを挟み、再チャレンジ。今度はだいぶマシになったもののなぜか「洋平がポールの袋を放置しちゃった大事件」を起こした。なぜ洋平が放置してしまったのか、そうするとどんな事態になるのか、なぜ一つの手順を大切にしなければいけないのかなど他にもいろいろなことを、この失敗を通して具体的に学べたことであろう。大切なことは失敗で終わらせずそこから学び、学んだことを次に活かしていくことである。頑張ろう!
14:30食当点火。水をこぼしてしまうアクシデントや、細かい手順を微妙に間違えるなどのミスはあったが、相馬は水の動きがなかなか上手くなっていたり、洋平も時間を気にしながら行っているなど経験のわりには2人とも良く出来ている感じであった。その調子で秋にはミスを減らしていってもらいたい。飯を食べてもまだまだ明るい時間であるので、フリータイムをとった。せっかく山奥の温泉地に来たのだからと鳴海、相馬、洋平の3人は入浴を楽しんだ。テント客は300円で入らせてもらえる。天気図がある2人は、「明日下りてから入る」と言ってゴロゴロしているので、Lもそれに付き合い、池田が余分に持ってきた天気図をもらい3人で書いた。(太ペンなしにチャレンジしたが、途中で諦めて栗原に借りて完成させた。)2人ともうまく書けていて、意見交換も行った。予想通り現れた高気圧は停滞していて、出発前の週間予報とは違い、天気は良いほうに続きそうな気配である。2人の新人に習慣を伝える意味も込めつつ18:50のNHK第一ラジオを一応聞いてみることを決めた。
18時過ぎにT.P.開始。今日の行動がどうであったかなどを中心に新人に話を聞く。2人とも下りは楽なのかと思っていたようだが、想像以上にきつかったようだ。相馬は足の先が痛いといっていて、洋平に至っては何度か登山道から落下しそうなところをストックに助けられ踏みとどまったそうだ。冷や汗モノである。1日の反省点、明日の課題、ラジオの予報が問題ないことを確認して、いよいよ最終夜に突入した。
びっくりしたのは、2年生がかなりの酒を持っていたことである。いやはや頼もしい。感想を聞くと、池田は相変わらず「余裕です」なんてことしか言わなかったが、二人は始めての山行に対する思いを語ってくれた。2年生からもありがたいお言葉を頂戴し、いよいよ夜の核心部トークへ移るのであるが、なかなか心を開いてもらえないままお開きとなった。まだまだ打ち解けられないが、秋には全て丸裸にしてやると心に誓うLであった。木々の中ではあったが、見上げるとこの夜も星がきれいであった。就寝後、洋平がトイレへと外に出て、転倒するという事件も起きたが、無事に帰ってきて眠っていた・・。
<11/5>
6:30起床。個人的にはかなり高いレベルの2日酔いである。朝飯はコンソメといえど、各人ドハマリしていた。下山ルートは、サオラ峠経由で丹波に向かうので、撤収後は一度小屋に登り返して、上で集合とした。ところが、洋平の疲労が溜まっていることと、昨晩転んでしまったときに足をハデに打っていたようで痛むと言い出す。上級生3人で一応協議して、タクシーを呼ばずともエスケープの林道を使い、お祭に下山することに決める。足がどのくらいの様子なのかなど再びしっかり聞き、様子を見るために、いきなりだが少々長めに休みをとってから出発とした。また、その間お祭の情報を小屋の人に確認する。民宿があるので、ご飯は食べられるけど、入浴施設はないとのこと。残念であるが、仕方がない。気を取り直し、09:15出発する。ルートが変わったため、再びテント場のあたりまで、下ることになった。そして、沢に沿うようにして長い道を歩く。林道までの登山道は、土砂崩れで崩壊したところを工事している場所もあったが、その迂回ルートはしっかりしていて、全体でも歩きにくいところは一つもなかった。よく踏まれている道である。30分ほどで林道に出る。3本の休憩をとり、のびのびとお祭へ向かった。洋平は足が痛いというわりには、普通に歩けていてほっとする。前日までになく、多めに歌を歌う姿も印象的であった。2人とも秋合宿での更なる成長を期待したい。
沢を眺めながらの気持ちの良い林道歩きは最初だけで、後半はさすがに一同閉口していた。しかもてんとう虫が大量発生しており、我々に追い討ちをかけた。おかげでお祭についたときはなかなかの達成感であった。バス停の前にはピンク色の建物の民宿があり、風呂は800円であった。あまりの高さに諦めて、皆でご飯を食べて、バスが来るまで眠らせてもらった。短い時間だが死んだように眠った。当然バスでも寝ようと思っていたが、さすが休日。超満員で乗るのがやっとのバスは居心地最悪で酔うもの数名を輩出し、我々を奥多摩へと届けた。そして、東京という現実の世界へと引き戻されていくのであった。
新人2人にあわせたゆったりプランであったが、新人のファーストステップはこういうものでなければいけないと山行に来てみて改めて実感できた。我々が恣意的に定める目標に彼らを組み込んでいくために、プランを作るわけだが、目標がなんであろうと、現実を無視できないということの意味をはっきり確認出来てよかった。というより、そんなことを今更感じていて、情けなくも思っているのだが。それにしても、MTB隊であった3人のメンバーとは、新歓以来の山活動だったが、想像以上に成長していて嬉しかった。2年生は、今回に限っては、十分合格点である。その調子で、ワンゲルを盛り上げて欲しい。もちろん池田もさらにガッツのある新人としてガンガンやっていって欲しい。
最後に、NEW FACEの2人だが、第一段階はOKである。反省点は、しっかり意識して、今後も意欲的、前向きに取組んでいくのみである。
(HARU)
《バス料金》
奥多摩~鴨沢: 610円
お祭~奥多摩: 740円
《幕営料金》
奥多摩小屋:テント1人400円
三条の湯:テント1人500円(テント泊の客は、入浴300円)
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