75代年間方針『成長』

 

61代秋合宿 上越猛烈藪隊 2009/10/21-25

登山・縦走

10月20日
16時50分高田馬場駅集合。見送りには佐藤佳一さん、鳴海さん、池田さん、小松さん、長谷川さん、杉森、鈴木が来てくださった。ありがたいことである。様々な差し入れを頂く。
今回は3隊とも一緒の出発なので賑やかである。
高崎までの電車は、相変わらずの通勤ラッシュの中である。大きなザックが邪魔になっているので肩身が狭い。ひたすら本を読んで過ごす。
高崎では全員で差し入れを分け合う。みかんが多いのが気になる。我々の隊は軽量化を重視しているので、できるだけ食べてしまおうとするが、さすがに間に合わない。
後閑駅に到着し、他隊からの激励を受けつつ、最初に電車から降りる。後閑駅は思ったより大きくステビは難しそう。20時半ぴったりにタクシーが来る。中型1台であり、5人+荷物は入らないように見える。荷物をひざに載せるしかないかと覚悟するが、トランクに無理矢理入れてしまった。運転手さんの見事なロープワークが光った。
駅から1時間ちょっとで三国スキー場跡に到着する。建物なんかがあることを期待していたのだが、見事に何も無い。しかし、天気もよさそうなので、テントは建てずに全員でシュラポンをすることにした。さすがである。適当に夕食を取り、差し入れのみかんを食べまくって22時頃までには就寝。何だかワンゲルの人間関係についてを話していた気がする。

10月21日
5時半起床。朝露が降りていて何もかもが濡れている。こんなことも考えなかったのは馬鹿だったかと若干後悔しつつ、準備を進める。結構寒い。
6時07分に出発。トップは恵一朗。最初はきちんと道がついていて、紅葉の中を快適に進む。他に歌える場所もなさそうなので、今のうちに歌っておけと後輩を歌わせる。小山は苗場という場所に合わせてらしく松任谷由美の歌ばかりを持ってきていた。
登山道が東の御坂峠へと向かうところから、藪に入る。皆にサングラスと手袋をつけさせ、いよいよ藪漕ぎの開始だ。最初は腰くらいまでの高さの笹薮で、そんなにきつくは無い。所々に赤テープもある。だが、藪漕ぎならではの速度に慣れないのかトップは何度か読図ミスを犯す。思っていたほどには進んでいないというケースである。
1502の先の小ピークは間違えて北に行ってしまったという過去の記録があったので注意した。にもかかわらず少し戸惑ってしまう。でも、赤テープがあるので大丈夫。
それでもなかなか順調に距離を稼いでいく。段々藪が高く濃くなっていくがめげずに頑張る。しかし、1766手前の登りで苦戦する。段々潅木が増え、いつの間にか赤テープも見失う。完全に潅木帯の中に迷い込む形となる。しかも急傾斜である。小山も何となく疲れが見える。それでも「IZAEZO~」「IZAEZO~」と声を張り上げながら木を潜り抜けて前へと進む。そうこうする内に潅木を抜け、再び笹薮へ。
1766からセバトの頭までは膝~背丈くらいまでの笹薮が続く。登りと組み合わさり、これまでの疲れもあってなかなかきつい。トップを交代しながら全員で頑張る。水もなんだか減ってきた。しかし、今日最後の頑張り取り所だと力を振り絞りセバトの頭へ。
セバトの頭へは14時02分着。準則で定めた行動終了の時刻まではまだかなりあるので、水場のあるムジナ平まで行くことにする。この間は藪も薄く、あっという間であった。
しかし、記録ではムジナ平はプレートが多いとのことであったが、どういうわけかほとんど発見できず、ずいぶん頑張って幕場を探した末に、何とか張れそうな広さの場所に張る。15時20分。ひどい幕場だと言い合ったが、実はこの幕場が藪中では最も良い幕場となることをまだ知らない。
15時40分から古川、横塚、保延でムジナ平南の沢へと水を汲みに行く。10分ほど沢に沿って下ったが水の少ない時期だからかほんの僅かに流れているだけである。結構時間をかけながら水を汲む。これから3日間の水なのでかなりの量だ。1時間弱で戻る。
今夜のメニューはカレー。普通だが、今回の計画では普通のメニューが貴重である。今男だけのパーティーなので夕食を分けてくれる人がいないのが個人的には非常に物足りない。
T.Pを済ませて手早くパパリコをし、起床係は保延。彼は何だかゲームに弱い。夏合宿でも負けてばかりだった。さらに、本日は恵一朗の20歳の誕生日。ということでLとSLからそれぞれ差し入れが。彼のキャラクターからすれば当然アルコールが良いのだが、合宿初日なので自重してスイーツである。
流星群が見えるらしいが、藪にさえぎられて空もあまり見えないので皆興味なし。20時半に就寝。

10月22日
4時半起床。朝食は節水と時間節約のため計画を変更してグラノーラに。横塚差し入れの牛乳を使い、あっという間にできる。そして、あっという間に食い尽くす。同じく横塚差し入れのミロを皆で牛乳に加えた。何とも懐かしい味だ。外がまだ暗いので少し待機。霧雨になっていて天気図からの判断とはちょっと違う。まあ昼前には晴れるだろうと考えて5時50分出発。
雨具とスパッツの着用を個人の自由としたがこの判断の失敗がわが身に降りかかってくる。藪は完全に濡れていて漕ぐたびに体はびしょびしょになっていく。ちゃんと着ければ良かったと痛感するが後の祭りである。
昨日のペースから考えて今日は結構時間かかるだろうと思ったのだが、予想以上に皆の藪漕ぎ力が上がっていたためか順調に進む。大黒の頭までは急登で背の高い笹もあったのだが、あっさり登り上ノ倉山には8時08分着。こんな山頂でもちゃんとプレートがあることに感心する。
上ノ倉山からは緩やかであり、プレートなども目立つ。しかし、尾根が真南に向くあたりからは急な下りで尾根も細いので若干ヒヤヒヤしながら行く。忠次郎山手前の鞍部で休憩した際にやっと太陽が見え隠れする。皆で太陽のありがたみを感じ、その登場を願う。大陽神を信仰する恵一朗のおかげか、この後段々晴れてくる。
忠次郎山までの登りも一気に上がる。この山頂には慶応ワンゲルが最近つけたらしいプレートがあった。この後は平坦な感じなので楽勝だと思っていたが、意外と進まない。なんだかんだで皆疲れているようだ。膝から肩くらいの割と背の高い笹薮とアップダウンがずっと続く。このくらいの藪にはもう慣れてしまっているがそれでも徐々に体力を削られていく。
何とか1982のピークまで到達。そこから、上ノ間山までは一見そんなに距離がないように見えるが、ここが結構きつい。尾根が細い上にギリギリまで藪が生えているので、歩きづらく、ちょっと怖さを感じながら進んでいく。時間がかかる。だが根性一本で一気に上ノ間山まで行ってしまう。この山の最後の登りはまたも潅木で覆われ傾斜も急なので非常にきつい。ここまで新人とは思えないほど頑張ってきた小山にも試練の時である。それでも上級生が「元気か~」と聞くと「元気です」と叫び返すので感心した。再び「IZAEZO~」「IZAEZO~」と叫びながら登っていく。
苦労の甲斐あって到着した上ノ間山はこの辺の山頂では珍しく藪がほとんどなく、気持ちのよい山頂である。幕営もできそうな場所である。皆でお互いの頑張りを称え合う。
しかし、まだ終わりではなく、幕営予定地まではまだ距離がある。天気図に間に合うかギリギリであるが予定地目指してさらに進む。
上ノ間山~白砂山分岐までは所々背の高い藪もあるが、基本的にはそんなに濃くはない。皆疲れているがもう少しということで士気は高い。個人的にはこのあたりの登りが一番疲れましたが。
分岐まであと少しというところで、心配していた保延のひざに痛みが生じる。少しずつ遅れてくるが、もう少しで到着なので頑張って歩いてもらう。15時40分に何とか分岐まで到着。お疲れ様でした。
しかし、どうしたことかここにはテントを張れるようなスペースがほとんど無い。何とか鞍部の藪が薄いところにテントを張る。笹の上に張る感じだ。食当の邪魔になるので、食当口の方では保延が頑張って笹をナイフで切ろうとしていた。
本日の夕食は棒ラーメン。水が心配なので節水して作らせたら、まったくスープが無いラーメンとは別の食べ物となってしまった。それでも腹は減っているし味は良いので文句を言わずに食べる。小松さんの差し入れの焼売が美味しかった。
T.Pで反省をした後に、パパリコで起床係を決める。小山と恵一朗が結託した「サケ科の魚」というお題にLは撃沈する。そんなの分かるか!さらに、起死回生を目指して出した「サイゼリアのメニュー」というお題は意外と皆知っていて3周してしまいL自ら起床係を務めることになる。20時半就寝としたが、20時頃には皆寝ていた。

10月23日
5時起床。朝食のミューズリーを食べる。非常に歯ごたえがあって食べにくい。手早く撤収して6時10分出発。雲海がきれいに見えてよい気分での出発だった。
分岐からすぐのところは藪が濃いが尾根目指して無理やり進んでいくと薄くなり、小さな池塘なども出てくる。朝は霜が降りていて少し寒い。
少し進むと、笹中心だった藪がさらに太く背の高いものに変化してくる。恐らくこれがネマガリなのだろう。これの突破には大変苦労する。さらに、恵一朗が太ももの付け根がかなり痛むということで、団配を一部解除し、3年生2人に振る。何だか前途多難か?撤退という単語が頭をよぎる。
それでも、とりあえず進んでみる。2年生2人が体に不安を抱えてしまったこともありトップをしばらく横塚にやってもらう。下りが続くあたりになると滑ってしまうこともある。藪の濃さはそれほどでもないが高さは結構ある。ひざから腰くらいの笹である。プレートもそこここで見える。一本とったところで恵一朗に様子を聞くと痛いが行動はできるということだったので、そのまま行くことにする。
その後は1927の先から尾根が細くなり、またも緊張を強いられる。右側は切り立っているので落ちたらやばい。しかし左は藪が濃くて進めない。ということでそのちょうど境目を進んでいく。段々元気になった恵一朗がトップでわざわざ右側によって行くので制止する。彼は時々何だか危なっかしい時がある。左から行ける時に危ないほうに行かないように。
2035手前の登りも背の高い笹で結構濃いが順調に通過し、幕営予定地へとどんどん進む。何だか想定よりずっと速い。これでは昼には予定地に着いてしまいそうだ。
2035から先も細い尾根だが、藪が薄くなって中央を進んでゆける。この先赤樋山までは所々に登山道の跡のようなものがあり、藪もあまり濃くないので比較的楽である。
幕営予定地である赤樋山に到着したのは12時55分。赤樋山は一面笹で覆われた山頂である。プレートは見つからず。パーティー全体が藪に慣れたのか非常に順調である。まだ時間もあるので、幕場をさらに先に延ばすことに決定。
ここからは、北に行き過ぎてしまい迷うとの情報があったので、それに注意して進む。瀬の高い笹薮である。しばらく進んだところで、保延が地形図をなくしたと言う。藪は装備がなくなりやすいということで注意しなければならない。厳しく叱る。
ここからの下りは途中からネマガリが出てくる。やっぱり少し北にいってしまったので、戻ろうとするが、このネマガリは非常に強靭だ。気合を入れて掻き分けなければ動くこともできない。トップを行く横塚・恵一朗は強い。
その後もひたすらネマガリと戦い続けながら幕場を目指す。登りとネマガリが組み合わさると本当にきつい。私の服もこのネマガリとの戦いで引き裂かれてしまった。脛にあたると非常に痛い。
そんな戦いを繰り広げながら、ついに15時10分に幕場候補地であった2107mのピークに到達する。しかし、完全にネマガリに覆われていて全く張れるようなスペースは無い。どうしたものかと考え、先に行って幕場を探す隊とここに残って幕場を作る隊とに分かれる。しかし、どちらもあまり成果が無く終了。仕方なく無理やりここに張ることにする。ネマガリを押さえつけ、何度も曲げ、折り、細引きで縛り何とか張る。その過程でポールを壊してしまった。それでも出来たのは非常に狭く地上から浮きあがっているテントだった。
何とか全員入って16時50分から食当点火。またしてもラーメンだが、水が余りそうなので水の分量を増やした結果普通のラーメンのようになった。狭いテントでT.P・ミーティングを済ませ、20時半就寝。6人用テントとは思えない窮屈さであった。

10月24日
5時起床。今日で藪から脱出である。不安定なテントなので慎重に食当を行い、6時12分出発。ネマガリに突っ込む。佐武流山までこれが続くのかと覚悟して進んでいく。しかし、少し進んでいくとネマガリはあっさりと姿を消し普通の藪になる。その後も所々でネマガリが姿を見せたが、ほとんどは笹薮になる。これならばほとんど問題は無い。昨日のうちに進んでおいた効果が出た。
どんどん進んでいき、ついに「この空の色は何色だー」「紺碧でーす」という訳で藪を突き抜け佐武流山に到着。7時52分。ついに長かった藪を突破した。佐武流山の山頂からはきれいに藪が刈り払われていて、曇り気味だが景色が良い。今日で下山する2隊にエールを送るべく式典を行う。
そして出発。ここからは登山道なのでスムーズに進む。途中の西赤沢で水を汲む。赤い紐で印がつけてあり、そこから少し下っていく。この水場も非常にわずかしか水が流れていないため、水を汲むのにとても時間がかかった。
ナラズには11時10分に到着。このあたりは新しく道を作ったようで、地形図とは違い尾根上に登山道がついていた。そして、赤倉山には12時10分着。藪に慣れた隊であるためか登山道を進むのは非常に早い。ナラズから赤倉山まではコースタイムの半分の時間である。ここが今日の幕場なのだが、時間に余裕があり、明日早く下りてしまうためにさらに先を目指すことにする。
さらに1本進み、苗場山手前の1970mあたりにあった平地に13時48分に到着。ここに幕営することにする。今までの幕場とは違い、非常に快適である。時間にも余裕がある。
14時40分から食当、そして上ミ、T.P。合宿を通しての反省を行う。
そして、最終夜へ。今回は厳しい行程という事で差し入れも持って来すぎないようにと言ってあった。そのため、差し入れはやや少なめである。皆が自分を過小評価しすぎていたようだ。もっと持って来れたのにと皆で悔しがる。
新人が一人なので、上級生全員から小山に有難いお言葉を授ける。皆かなりの高評価でした。小山も苦しいところもあったようだが(練成ほどではなかったらしいが)、藪を結構楽しめたということで非常に良かった。
時間もあるので、さらに2年生、3年生も感想を述べていく。恵一朗が20歳になっての難しい悩みを告白したり、横塚が実は藪漕ぎが大好きであったりと色々出てきた。最後は何故か早稲田コールと校歌の合唱、そしてお題が2次元に偏ったパパリコで起床係を小山に決め就寝した。

10月25日
5時起床。6時12分出発。天気が若干怪しいかもということで早めに下りてしまおうと急ぐ。苗場山山頂周辺は広い湿原になっていて。歩いていてとても気持ち良い。この辺りでは山頂に小屋があるためか人に多く出会う。
7時10分山頂到着。山頂周辺が平坦な上に、ガスに覆われたため景色は全く無い。ここで式典にしなくて良かったと思う。ここにる遊仙閣という建物があるのだが、名前からとても立派なものかと思っていたら実際は非常に古く入り口も無い建物だったので何となく肩透かしである。
ここから降りていくうちにガスも晴れよい景色が見渡せる。最終日の行程として非常に良い気がする。神楽ヶ峰に向かう途中に慶応ワンゲルの石碑を発見。慶応は金があるなと思ったら慰霊碑であった。一瞬勘違いしてしまい申し訳なく思う。
神楽ヶ峰には8時15分到着。横塚と恵一朗が鳥になろうと頑張っていた。いよいよこの合宿も終わりが近い。スキーがあれば一瞬なのにと思いながら下山する。途中でわずかな荷物を持ったハイキング客と大量にすれ違う。どこから来たのかとたくさん聞かれるが何とも答えづらい。最後なので休憩もせずに一気に下る。
9時55分、ついに和田小屋まで下山。合宿もこれで終わりである。お疲れ様でしたー。
タクシーが来るのは10時半ということでそれまで和田小屋で休む。ドリンクバーがあったのでそれを飲んで過ごす。このドリンクバーは場所柄なのか飲料を出すと虫が中に入っているという恐ろしいものであった。
10時半にタクシーは来たが、小型が1台のみで全員は乗れないのでひとまず私と恵一郎が先に越後湯沢駅へ。越後湯沢駅は温泉があり、お土産と試食が非常に豊富で、利き酒をしていたり、1合の米を使ったおにぎりが売っていたり長時間いても退屈しないような駅であった。しかし時間とお金が無いのでパス。残り3人を待って沼田へ移動。
最後は当然、山彦のとんかつである。他の隊が昨日来ているかと思ったが、山響には何も書いていない。聞くと昨日は用事があったため午前中で閉めてしまっていたらしい。小山は初めての山彦だが、2年生2人はよく来ている。特に恵一朗は現役で1番多いくらい来ているようだ。ワンゲル盛りを全員で頂く。Lにとってはこれでも足りない位であっさり食べ終わってしまった。後は電車でそれぞれが帰路に着いた。ただ、ギリギリで電車を1本逃したため全員で1時間くらい待つことになった。
とにかく秋合宿お疲れ様でした。積雪期もしっかりやっていこう。

Waseda Wander Vogel

Waseda Wander Vogel

早稲田大学ワンダーフォーゲル部の公式HPです。

関連記事

最近の活動

コメント

この記事へのコメントはありません。

アーカイブ
TOP