75代年間方針『成長』

 

剱岳 2000/10/7-8

登山・縦走

ワンダリング報告書

<期間>2000年10月6日(金)~10月8日(日)

<山域>北アルプス・剱岳周辺

<使用地図>「剱岳」「立山」25000分の1

<参加者>栃谷 佳宏(20、3年)

<行動概略>

 10月6日 JR東京駅=JR富山駅S.B.

 10月7日 C0=馬場島-早月小屋C1

 10月8日 C1-剱岳-前剣-一服剣-別山乗越-雷鳥平-室堂ターミナル

<行動記録>

10月6日 晴れ

 2008、東京発上越新幹線の列に並ぶ。これから始まる3連休、ホームは人でごった返している。結局自由席で席も取れず、デッキで壁に寄りかかってうとうとする。

 2115に越後湯沢でほくほく線の特急に乗り換え(ここもかなりの混雑)待つこと2時間、ようやく富山駅に到着。しばし一人旅の風情を堪能する。この日はシャッターの下りたあとの富山電鉄駅の改札前でS.B.。

10月7日 晴れ

 腕時計のアラームを5時にかけておいたのだが4時半過ぎに人の気配で目がさめる。駅のシャッターが開くと同時に、サブザックを背負った中高年の登山客が次々と改札へ向かう。始発の改札が始まるころにはローカル線の狭い駅構内は色とりどりのザックでいっぱいになっていた。こりゃ朝から立ち乗りかなと思っていたら、殆どの登山客は室堂方面行きのホームに向かっていくようだ。走り出した列車の窓からは、朝日に照らされた立山連峰がよく見えた。

 30分で上市の駅につく。ここで降りたのは四人だけ。上市から早月尾根入山口の馬場島までは一日二本の定期バスが運行していたのだが、利用者の減少により去年廃線となったらしい。よってアプローチの手段はマイカーかタクシーのみとなってしまい、僕のような単独行者にはタクシー代の出費が痛いところである。恐る恐る財布の中を確認していると隣を歩いていた同じ単独行の男性から相乗りを提案された。渡りに船と応じ、早速二人してタクシーに乗り込む。

 水汲み体操して632出発。いきなり急登だが装備を軽量化してきたおかげでサクサク進む。登山道はしっかりしていて歩きやすい。高度を上げるにつれ木々の赤や黄がその発色を増していくのがわかる。後で幕場でラジオをつけたらちょうど身ごろだと言っていた。これがのちに災いするとは・・・)。左手奥には赤谷山が、その右手に白ハゲ赤ハゲなるなんとも奇っ怪な名前のピークが雄雄しくそびえ立っている。今日の幕場に予定している早月小屋はテン場が5・6張しか張れないという事前情報もあり、地元登山者に間違えられるぐらいのペースで先行者を次々追い越して進み、1032には早月小屋についてしまった。ここのテン場からの大窓・小窓の稜線の眺めは絶景である。

 今回テントは軽量化を考えツェルトとツェルトポールである。さっそく張って中で昼寝する。小屋の人にラジオを借り天気図をつけると、日本列島上空に高気圧が停滞しているが、そろそろ背後の大陸の高気圧が前線を伸ばしてきそうな気配である。

 レトルトカレーで手抜きの夕食を済ませ小屋の方に足を向けると、富山湾と沿岸の市街地を一望する大展望が現れた。夕焼けに染まる遠い街並みが、時間とともにゆっくりときらめく夜景に移り変わっていくさまを、僕は長い間ため息を漏らしながら飽きもせずに見つめていた。

 この日はココアを飲み1800過ぎに就寝。

10月8日 曇り

 500起床。ラーメンライスを食べサクッと撤収し545に出発する。小屋からの登りは相変わらず急登が続くが、稜線を行くので爽快この上ない。小一時間も歩くと足場がイワイワしてきて鎖も現れる。左側が切れていて悪天時には注意が必要だろう。しかしそうでもなければそんなに神経を使う場所でもない。劔に近づくに連れその山頂から連なる小窓・大窓、そして名高いチンネの岩峰が間近に迫ってくる。鎖につかまっての狭い足場の通過は、背中のでかい荷物が邪魔でしょうがない。もっと小さいザックにすればよかった。岩場の感じは新人の時に行った後立連峰の不帰のキレットを思い出させた。空気が薄いせいか、やけに呼吸が乱れる。714、落ち着くために頂上直下の鞍部で軽く一本とって、最後の岩山を越える。

 825、剱岳山頂着。室堂から登ってきた中高年がお弁当を広げている。裏立山をバックにソロ写真をとってもらい、これぞワンダリングの醍醐味とばかりEPIでココアを沸かして飲む。携帯の電源を入れると見事にアンテナ三本立ったので、自宅に電話を入れた。「今劔の山頂なんだけど」という時の優越感といったらなかった(笑)。

 930、下山開始。下りは話に聞くほどひどく込んでいるわけではないが、やはり渋滞気味である。噂のカニの横ばいは、鎖につかまって降りる先のスタンスは狭いながらもしっかりしているのだが、下がまっすぐに切れていて、鎖をつかんでの横ばい中は確かに怖かった。前を行く中高年夫婦の奥さんが高度感にマジ泣きしているのを、旦那が慰めていたのが印象的だった。なおカニの縦ばいはよくわからないうちに終わってしまった。しかし表の登山道を下ってみて初めて、劔が怖い山だという実感が湧いてきた。ここを登るくらいなら早月尾根から登る方がはるかに安全だろう。

1040、前剱で一本。ここまでいくとルートはだいぶマシになる。急なルンゼを慎重に下って小ピークを登り返すと一服劔。ここで後ろを振り返ると前劔が眼前にそびえたっており、登ってきた人の中にはそれを劔と勘違いしている人もいた。ここまで来ればあとは歩くだけである。剣山荘で一本とり、右手上方に剣御前を、左手下方に野営場に張られた色とりどりのテントを見ながら渓谷の中を歩く。このルートからは赤や黄色に染まる剣沢の雄大な渓谷美が堪能できる。さすがに少し疲れが出てきたせいかやたら長く感じたが、ひょこっと剣御前小屋が現れ、1300、別山乗越につく。ここからははるか下に見える室堂ターミナルとホテルの一群目指してひたすら雷鳥沢を下る。ここからの立山の眺めもまた格別である。雲行きも怪しくなってきたので、はやいとこ下山しようと飛ばしまくり、1350にターミナルに到着。

ターミナルについてびっくり。どっちを向いても人、人、人である。バスのくる一階に続く階段を下りるにも、ハイヒールのおねえさんや家族連れをかき分けていかなければならない。そうだ、ここは観光地だった。建物内部には下界に下りるバスを待つ人の列が何重にもなって広がっており、最後尾とおぼしきところで大声を張り上げているお兄さんに「何分ぐらい待ちますかね」と聞いたところ「わかりません」とのたもうた。この日は三連休の中日でしかも紅葉まっさかり、ということで記録的な人出になったらしい。

室堂C2を覚悟したが、ここからの下山ルートはもうひとつあった。泣く子も黙る立山黒部アルペンルート完全制覇である(笑)。こちらも二時間待ちだったが、次の乗り換え場所までのトロリーバスにはすぐ乗れることと、これ以上一分でもこの混雑の中にいたくないという自分の気持ちを考え、泣く泣く5000円ぐらい払ってそっちの列に並ぶことにした。しかしそこから先が大変で、ついた先の大観峰展望台で黒部の秋風吹きっさらしの中一時間以上待たされたあと、ゴンドラからケーブルカー、黒部ダムの上を徒歩で20分、さらに列に並んでもう一本トロリーバスを乗り継ぎ、終点の扇沢についたのは結局19時を回ったころ。トドメに信濃大町までバスの乗車賃1000円を要求されるころには、もういくらでも払います、頼むから家に帰して、という心境だった。

信濃大町駅前の七倉荘でお風呂に入り、定食屋で焼肉定食を食べ、鈍行で松本へ出て急行アルプスを待ち、日曜の朝5時ごろに東京に着いた。

 費用も時間もそれなりにかかった山行ではあったが、天候にも恵まれ、非常に充実したワンダリングだったと思う。

<行き運賃>

東京-富山(上越新幹線-ほくほく線特急):11000円

富山-上市〈富山電鉄〉:1000円ぐらい

上市-馬場島(タクシー相乗り):3500円

<帰り運賃>

室堂ターミナル-扇沢(立山黒部アルペンルート):6000円ぐらい

扇沢-信濃大町(バス)1000円ぐらい

信濃大町-新宿(大糸線-急行アルプス)6500円ぐらい 
 

Waseda Wander Vogel

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早稲田大学ワンダーフォーゲル部の公式HPです。

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