最上川 2004/9/17-19

ボート

最上川ワンダリング報告書

日時:2004年9月17-19日
メンバー:L春田(2年) SL柳瀬(2年) 浅井(新人) 御手洗(新人)
笠井コーチ(47代) 栃谷OB(52代)

地形図:楯岡、尾花沢、新庄、清川(50000:1)
主旨:のんびりとしたリバーツーリングを楽しむ。 / 次代に向かってパドリング!!【第二弾】

 飲み会での何気ない笠井さんとの会話からすべては始まった。九月になったら、川に行こう。Lはお前だ。部分的にだけ物事が決まっていく。メンバーも決まったり、決まらなかったり、そうして曖昧なまま月日は流れていった。計画も流れていくかと思っていたが、九月に入り、やることがないことに気づいた。結局ワンゲル以外にやることがなかった。テスト勉強から逃げていただけか?夏休みを終わりにしたくなかっただけか?遊んでくれる人がいなかったからか?何かに突き動かされるように、始めてしまった。始めてしまったからには、と気合で進めていった。その結果できたワンダリングはなかなか良かったのでは?と思う。それはメンバーそれぞれがそれぞれに感じてほしい。駄目ならば、もっといいものを自分で作って欲しい。なんでもいい。Lとしては内容の濃いワンダリングに出来たと思っている。
例の如く、今回も記録的価値は少なく、日記的紀行文として書き綴ってあります。
 


 
9/17
碁点橋左岸(三難所下り出発所)12:58-14:45長島橋左岸(三難所下り到着所)15:35-17:50大石田町運動公園[C1]

9/18
大石田町運動公園08:35-10:24白鷲付近10:39-12:00猿羽根大橋約2キロ手前13:00-16:00大蔵橋左岸[C2]

9/19
大蔵橋左岸10:33-11:40本合海大橋約2.5キロ手前12:00-14:30古口(芭蕉ライン出発所)
 
<9月15日>
C-1。ラフトの周りのロープを張りなおす作業・ミーティングを実家から帰ってきたばかりの御手洗と柳瀬と行う。と言っても柳瀬は部室が閉まるギリギリの時間に現れただけ。のんきなSLである。それぞれの部屋に団体装備を移動させて、再集合。三人で『レッピー』にて前祝いのお食事を済ます。「PCルームでテスト勉強しなきゃ~」とかいいつつ、柳瀬くんの家で一人酔っ払い、就寝。いつもすんまそん。。。

<9月16日>
6時起床。天気は良好。パドル・ポンプ・個装を持ち、ふらふらと御手洗の家へ。彼女は既に、アパートの前にて荷物を出し、着々と準備をしている。すばらしい。よく出来た娘です☆三人で荷物を分けて馬場に向かって歩き出す。時間に余裕があると思っていたのだが、御手洗の家に誤って、切符をいらない荷物と一緒に置いてきたことに気づく。すいません。駄目な先輩です。御手洗のダッシュによりなんとか切符を回収し、山手線に乗り込む。おつかれさまです。本当によく出来た娘です☆これからも頼みます(笑)

 池袋で乗り換えて、長い鈍行の旅が始まる。浅井は群馬の実家から別の電車で出発し、宇都宮で合流する。OBのお二方は仕事もあり、明日の夜からの合流である。黒磯、郡山、福島、山形を通過し、目的地の村山に16時に到着。乗り換えは夏合宿のアプローチとほとんど一緒だった...が、4人ということもあり、トランプもしやすく案外退屈しなかった。戦績は、春田・浅井・御手洗・柳瀬の順。二人と二人の間に圧倒的な差があった。もっと頑張るように!さて、駅前のバス停からバスで最上川まで移動。いよいよだぜぇと、気分も高まる。適当なビバークポイントを探しに歩き出したとき、そこで悲劇は起きた。

 今回から導入した新ラフト運搬用台車(By新宿東口ドンキ、約4000円)を駆使して移動していたのだが、カランと音をたてて部品が一つとれる。「おっ!」と思ったのだが、さほど気に留めるものはいなかった。そのまま数十メーター柳瀬がラフトを押して歩いた。ふとラフトに目をやると、わずかに傾き地面とくっ付いていてキスをしている。「あかん!!」と思うも、時既に遅し。わずかな穴が開いていた。穴一つあるだけで、ツーリングの快適さは半減する。それをよく知る人間達は早くも凹んでしまう。しかし、起きてしまったものはもう仕方がない。とりあえず、ビバークポイントを探しあて、温泉で気分を盛り上げることにした。

   向かった温泉は、ビバークポイントの市民体育館の裏、「クアハウス碁点」である。クアハウスの意味などは割愛するが、250円で日帰り入浴が出来るのは魅力的である。この日はオトコ湯が子供プール付きで、オンナ湯にはトゴール湯という湯が付いていた。らしい。二年生二人が滑り台を滑って遊んでいたことは言うまでもない。温泉を満喫し、そのまま施設のレストランで食事にする。全員で山形名物?「芋煮」を食べる。笠井さんが食べたがっていたので、申し訳ない気がしたが、また食べればいいと思い、お先に頂くことにする。たしかにうまかった。

 その後、ビバークポイントでは、御手洗がご両親から頂いてきたという高級ウイスキーをメインに飲む。おいしかったです。本当にありがとうございました。気持ちよく酔って、C0の夜は更けていきました。この日も面倒を見てくれて皆ありがとうね。(全く反省していません。)

<9月17日>
6時、いや7時に起床。するも雨。誰も動こうとしない。テンションも上がらない。仕方なくそのまま寝続ける。9時頃だったろうか、雨も上がったので、動き始める。体育館から移動し、三難所船下りの出発地点へ向かう。その付近から出発させてもらうが、珍しがられていろんなおじさんに声をかけられる。そんな中で着々と準備を進める。もちろんあけた穴の修理も欠かさない。体操をし、12時半過ぎに出発する。なお、出発前にはラフトの基本を確認するために、”セーフティートーク”というものをするのだが、この日は新人浅井にやってもらった。本来なら、浅井も確認される立場なところではあるが、この夏みっちりボートをやった人間として特別にしゃべってもらった。横から柳瀬と二人でサポートはしてあげたし、指導の対象が御手洗だけなのでやり易いはずだし、しゃべることでより理解を深めるという狙いが、もちろんあるのだが、本当はただ面倒なだけだったりする。でもいい経験にはなったはずだ☆来年の夏に向けてね。主旨に沿っていてスバラシイ!

 川床に碁石を並べたような岩の突起があることから、碁点と名の付いたこの場所からツーリングを始める。最上川の三難所の一つ目で、その昔船頭さんを困らせていたとか。といいつつも雨が降ったせいなのか、それほど岩がむき出しという感じではなかった。陽があがり天気も気持ちよく晴れている。すぐに、竜神の吊橋とやらも見える。基本的に新人が前、真ん中が荷物、二年が後ろというポジションで漕ぐ事にする。つまり狙いたい放題。とっても気持ちがいいので、浅井を早速川に放り込む。放り込んだあとに、気づいたのだが、インスタントカメラをポケットに持っていたのだ。急いで回収するもご臨終でした。すいません。 流れはまぁまぁあるといった感じ。そのせいか油断していて、ちょっとした瀬でもない限り全然漕がずに進む。

 三難所の二つ目の三ヶ瀬にはいつの間にかたどり着いていた。上から見る写真のイメージと違い、よくわからなかった。みかのせ橋の真下を通るときはけっこう楽しかったと記憶している。真ん中より右岸よりに進んでいったらバッチリであった。ぐるりと蛇行したあとは、三難所船下りの終点が長島橋にある。時間をかけたのに全く進んでいないことに気づいた。誰もトイレに行きたいとは言わないし、少々悩んでみるが、結局自分がトイレに行きたいために休憩をとる。

 ちょうどお腹もすいたころである。何か食べ物でもあるかと入ったお店は最上川三難所そば街道の七番店「リバーハウスはやぶさ」であった。もちろんメニューはそばしかない。これまた笠井さんとそばを食べる予定だったので一瞬ひるんでしまったが、メニューにそれしかないのだからと頂くことに。また食べればいいかなっと。すいませんでした。自分の食べた「付け肉そば」浅井の食べた「隼そば」(山菜が入っている)がお勧めだろう。おいしかった。たっぷり食べて15時半に再出発する。

 2キロくらい漕ぐと、三難所の三番目の「隼」につく。川底全体を岩礁が覆っているため急流になっているようである。なんとなく流れに乗って左岸よりに進むといい感じの瀬を漕ぎ進むことが出来た。グレードは、1~2級くらいなのでは?と思った。おもしろかった。この瀬を過ぎると、なにもなくなる。今まで休んできた分を取り戻すべく漕ぎに出る。実家でぶくぶくと太った?二人の新人にはあらかじめダイエット合宿にしてやると言ってあったため、気合を入れて漕いでもらう。四人で、いや、後ろの二年二人で歌詞を間違えながらいろんな歌を部分的に歌う。前列の若い二人は自分達よりも歌えるので苦笑の連続であったろう。「翼をください」は一番盛り上がった気がする。個人的には、秋合宿に採用決定である。気合をいれて漕ぐこと三時間。大石田町に到着。幕場への上陸ポイントを警戒しながら、左岸に寄りゆっくり漕いでいく。すると右岸から笠井さんの声がした。「もっと100mくらい先だ!」と伝えて下さった。「漕いでいるところを写真に撮りたい!」と言われたので、ゆっくり漕いでみたが、結局それらしき場所に到着してしまう。調査してみるとやっぱりそこなので、満を持して上陸。微妙に長い行動を終える。そして船を下りると同時に笠井さんが到着し、合流するのであった。すいません、もう少しでした。自分達は行動が比較的に充実していたと自負していたが、笠井さんが新人に「どれくらいハマリ?浅井テンション低くない?」などとちょっかいを出すので、もっと早く動いていればと、いろいろ反省し始めた。もはや仕方がないので、気分を新たにし、また明日から頑張ることとした。

 とにかく、Lとしては現役4人でこの日行動できたことが、とても良かったと思っている。もともとは、東北を観光してから、大石田から6人でスタートする予定だった。それをせっかくだからと、もう1日増やせとアドバイスしてくださった青木コーチには本当に感謝しています。ありがとうございました。充実した時間をすごしたからこそ、来年また最上川に来ようとは微塵にも思わないわけですが。逆に東北はとてもいいところで、他の東北の川を目指したくなるわけです。でも、また行っても楽しめるとは思ってます。楽しんでみせます。さて、ここから先は笠井さんにバトンタッチいたします。

(春田)
 


 

 最上川とワンゲル。私(47代笠井)にとって、この二つのキーワードで浮かび上がるのは91年、42代の夏合宿である。入部直後の93年4月、発行されたばかりの彷徨第43号に目を通し、その後も示唆に富むこの1冊を何度も読んだからだろう、ボート合宿を経験したことがなくても、この川を一度は下ってみたいと思っていた。
6月に「わっしょい」飲み会で突発的に立案すると、2年春田がリーダーに名乗りをあげ、新人の御手洗と浅井も関心を持ち、大枠が固まる。その後、OBにも声をかけ、今年から担任を任されている聖職者、52代栃谷が快諾してくれる。夏合宿でボート隊だった2年柳瀬に声をかけないでいると、「何で誘ってくれないんすか」と春田に志願してきた。メンバーがそろって一安心と思いきや、柳瀬は夏合宿後に熊本に帰省して人肌が恋しくなったのか、一度閉じかける(自分だけの世界に入り込むの意)。春田に説得されて翻意したものの、メンバーは最後まで流動的。今ワンダリングは、「閉じる」という言葉が何かと話題になる前兆でもあった。

<9月17日>
17日午後5時過ぎ、JR大石田駅から1㌔ほど離れた大石田町運動公園で現役部員と合流。ボートの行動記録でこんなに遅くまで行動したという記憶がなかったので、何かあったのだろうと思いを巡らす。先の羊蹄山ワンダリングの際、涙目で写真に写っていた浅井が気になっていたが、「冗談が多い奴」という春田の事前の説明とは打って変わり、口数が少ない。しかも、伏し目がち。初日からはまったのか、と心配する。後に浅井は体が濡れたためテンションが下がっていたと分かったが、それとは別に恐ろしい事実を伝えられる。運搬時にボートに穴を開け、完全に修理できていないとのこと。応急処置を施してはいるものの、「翌日はどうなるか分からない」とは春田の弁。うーん、明日は温泉めぐりでもするか、と考えながらテントを設営。さらにランタンを持ってくるはずの私が、間違えてEPIヘッドを持ってきたことに気づく。雑誌「ビーパル」のように明るく、さわやかなキャンプを演出するつもりだったが、いきなり、崩れ去る。すまん。日が暮れるにつれ隊の雰囲気も加速度的に暗くなった。気を取り直そうと、1㌔ほど離れた「あったまりランド」の温泉につかり、駅前で夕食をとることにする。午後10時半過ぎ、栃谷を駅まで迎えに行った。河原の幕場まで歩いて戻るが、ほろ酔い気分の私が道を間違え、歩けど歩けど、最上川に近づけない。逆に遠のくばかりだ。酔いが覚めてきた頃はすでに12時近く。歩くのを断念し、タクシーで幕場へ。すぐにシュラフにもぐりこんだ。

<9月18日>
6時半起床。ラーメンとパンの軽い朝食を終え、8時半過ぎ、出航。だが、である。案の定、ボートの底は「シューー」とうなりを上げながら、空気が抜けている。もちろん、ボートは水浸しだ。それでも、ボートは何とか持ちこたえているため、休憩時に水を抜くことにし様子を見ながら進む。「一、二」「一、二」。パドルをこぐかけ声が、川面に響く。予想通り濁った川。瀬はほとんどなく、私のような素人でも楽しめる。こいでは休み、休んではこぎながら、ゆっくりと北へ。暦上はピリオドを打った「夏」。吹く風はひんやりと秋めいてはいるものの、日差しが次第に強くなってくる。前方に座る新人2人がしきりに後ろを振り返る。何かと思っていたが、春田の了解を得るや否や、ためらいもなく川に飛び込んだ。愛憎入り交じり、無邪気に戯れる2人。濡れることを一瞬でも躊躇していた自分を情けなく思った。

 ボートに戻ると、風流な一時が訪れる。浅井がリコーダーを取り出し、「北の国から」や「情熱大陸のエンディングテーマ」などを巧みに奏でる。とんびがピーヒョロヒョロと粋な演出で盛り上げに参加。浅井は顔つきだけならプロ並みである。負けまいと、栃谷が眼鏡の下から目をぎらりと光らせた。防水袋からそっとハーモニカを取り出し、「ふるさと」など情緒たっぷりの調べを競演した。うーむ、ワンゲルでこんな雅な時間を過ごせるのも、ボート隊ならではか。

 10時半ごろ、芦沢集落近くの河原で1本。ボートの水を抜いたり、レーションを食べたり。20分ほど休んだ後、みんな川で泳ぎだす。私も川に飛び込み、写真を撮りまくる。仕事の合間を縫って参加してくれた栃谷も流れに身を任せ、涼感に浸る。川が蛇行し始め、猿羽根大橋を見やることができた河原で昼食休憩。メニューは料理長の柳瀬が選んだスパゲティ。この料理長は、ゆで加減などこまめに気を配り、意外な一面を見た気がした。20分ほどで、まさに「秋は外めし、デイキャンプ」(ビーパル10月号より)のような至福の瞬間が訪れた。食事後、装備係柳瀬がボートの修理を再度試みる。ボートの空気が膨張しすぎないよう気をつけながら、粘着テープを張り替えた。よく調べてみると、ボートの裏側だけでなく、表側にも亀裂が入っていることが判明。空気が抜けるはずである。手際よく修理を済ませ、さあ出発しようという段階で、個装整理の遅い浅井に柳瀬から指導が入った。

 読図を真剣にすると、本日の幕場までかなりの距離が残っている。しかも、川はとろ場多し。時折、なだらかな瀬を楽しんだ以外、だらだらモードからスイッチを切り替える。春田の掛け声を景気づけに、高校時代、合唱学部だった浅井が「最上川舟歌(合唱バージョン)」で静寂を破る。「はぁ~えいえんやぁあ」「どっこい、どっこい」。歌い終えた浅井は胸を張った。「本場で歌えて友達に自慢できます」

 柳瀬・春田もバンバン声を張り上げる。聞いたことがあるような、ないような歌ばかりだ。うーん、彼らと10年近く年の差がある私は、拍子を合わせるのが精いっぱい。漕ぐのに専念した。それでも、漕げども漕げども、狂ったように叫んでいてもなかなか目的地にはたどり着かない。しまいには浅井が「もう疲れてだめですぅ」と錬成合宿のような泣き言をぽつり。隊の雰囲気は急降下。うーん。1人でもこぐのをやめると、思うように進まないのがラフティング。軽い木のパドルと交換し、浅井を前向きにさせる。ひたすら漕ぎまくって、16時50分、本日の幕場である清水の大蔵橋に着く。地元のおじいさんが鮎漁をしている脇を過ぎ、左岸からボートを岸に上げた。

 河原近くの整地にテントを張り、温泉を探すが見つからず今日は断念。柳・浅・御と春・栃・笠の二手に分かれ、食事の買い出しとトイレ・水場探しに出かける。清水といえば、42代がお世話になった一念寺がある。彷徨でかなり記述されているため、ぜひとも、一度は訪れてみようと、こっそり探しに行く。なだらかな斜面に一念寺はあり、門の前で記念撮影。行きたがっていた柳瀬にはすまないことをした。

 また、清水といえば、『ザ・ドキュメント「お湯事件」!』(彷徨第43号p213~217参照)の伏線となったガソリンスタンド。私が現役の時は「百戦錬磨のつもりでも百一戦目に気をつけろ」とよく諭されたものだが、今の現役は火器にガスカートリッジを使っているためラジウスを知らない。だから、この教訓を話しても理解してもらえないと思い、栃谷と春田には話さなかった。例のガソリンスタンドには、おじさんがいたが、この人が花柄のポットを持ち出してきたか、などと1人思いをめぐらせた。

 橋の照明を頼りに外で食当する。蚊が群がってきたが、それ以外は快適に過ごせる。晩飯は山口県出身の御手洗が差し入れてくれた「ふぐ雑炊」。だしが利き、薄味でおいしい。ふぐがさりげなくご飯に混ざっており、栃谷がしきりに感動している。浅井も群馬出身として、地元の漬物を差し入れる。ごっつあんでした。そのまま宴会に入り、これまた、御手洗差し入れのウイスキーを中心に酔っ払う。社会人でもそう頻繁には飲めない高級酒。まろやかでうまい。柳瀬の人生再建策やら栃谷の先生奮闘記などを聞きながら、うだうだしていると、雨がぽつりぽつり。次第に雨脚が強まってきたのでテントに逃げ込んだ。テント内では、それぞれが過去を語り明かした。

<9月19日>
朝起きると、雨。携帯サイトの天気図から判断すると、低気圧が通過しているようだ。朝食は山形の秋の代名詞「芋煮」。サトイモにねぎ、牛肉、こんにゃくをしょうゆで味付けし、煮込む。地方ならでは郷土料理を食べることができるのが、ワンダリングの楽しみの一つ。歯痛でブーたれている柳瀬をほったらかしにし、熱いうちに食べ終える。雨がやまないため、春田は「待機」を選択。テントで「柳瀬はなぜ閉じるのか」について議論していると、西側から明るくなってきた。春田と柳瀬が協議し、今日は予定のコースを短縮し、最上川舟下りの出発地である古口を目指すことにする。

 10時半過ぎ、清水を出発。昨晩、雨が降ったおかげで流れが速い。漕がなくてもボートが進む。浅井と御手洗はすぐに川に飛び込み、ボート上の上級生は最上川の流れに身を任す。作之巻集落過ぎで1本取ろうとしたら、御手洗が流され、河原にたどり着けなくなる。流れは速く、重い。春田と栃谷がクイックロープを交互に投げ入れるが、届かずに撃沈。本人は泳いで戻ろうとするが、壊れたぜんまいロボットのように腕を回しているだけ。泳げないと分かったところで、柳瀬は「ライフジャケットを脱げ」などとトンチンカンな助言。流れが緩やかになり、自力で河原にたどり着いた。あの時点で、ライジャケを脱ぐのは適切ではないだろう、と柳瀬と話し合う。

 レーションを食べ、再出発。最終目的地が近づいてくると、新人2人が急にしんみりしてきた。夏合宿は別々の隊だったが、このワンダリングで一気に距離感が近づいたよう。元気者・御手洗の怒涛の押しを、浅井があの手この手でかわすといった人間関係か。そんな前方に陣取る2人の後ろから、映画「タイタニック」のテーマ音楽が最上の風に乗って流れてくる。高校時代、演劇部員でもあった浅井が「ジャック」、ワンゲル一筋の御手洗は「ローズ」になりきる。

浅井が「僕を信じて、目を閉じて」とささやくと、御手洗はぎこちなく立ち上がり、船首に足をかけた。両手を広げた御手洗を、浅井が後ろからがっちり支える。しばしの沈黙が続いた後、浅井が最上川の中心で叫んだ。「チィ(御手洗千里)はぁ、周りのぉ、みんなのことをぉ、いつもぉ考えている優しい人」。今度は御手洗が深呼吸しながら目を見開く。そして意を決し答えた。「キヨ『浅井亮貴(きよたか)』はぁ~」。柔らかな声が一瞬、最上の風にかき消される。だが、ひるまない。「キヨはぁ、いつもぉ、私につきあってくれてぇありがとぉ~~」。感極まった2人は、抱き合いながらというか、落とし合うように最上川へ沈んでいった。

 ワンゲル劇場が幕を閉じると、真のフィナーレが近づいてくる。空を見上げると、青く、緑がかっている。ぱぱぱぱぁ、ぱぱぱぱぁ、と例の序奏が流れ、「紺碧の空」が幾度も幾度も最上川に響き渡った。そして、左岸に最上川舟下りの発着所が見えると、校歌に切り替えた。新人2人はもちろん、失われた夏を求めてきた私らOBも満足げ。春田と柳瀬の2年生コンビも頼もしい。最後はエールで締めくくり、タイミングよくゴールへ。ボートを上げると、天の恵みが実る田園地帯が広がっていた。バスで出向いた草薙温泉は日帰り入浴時間がすでに終わっていたため、拒絶される。ジャンボタクシーで戸沢村にある三セク温泉に行き、汗を流した。OB2人はこの日のうちに帰京するため、十分な打ち上げができぬまま、JR古口駅で新庄経由新幹線組みと酒田経由夜行組みに分かれ、ワンダリングは終了した。
 


 
~補足~

・『JR北海道・東日本パス』:JR北海道と東日本のエリアの鈍行を連続する5日間、10,000円で乗り放題できる。18切符のように、複数の人間で使いまわすことができないところが不便だったが、18切符は10日で終了していたため今回はこれを使用。
(普通に払うと、馬場~村山6300円、高屋~馬場7140円)
(帰りは、新潟からムーンライトえちごで帰る。指定券510円。空席が目立った。)
・「村山駅前」~「碁点」(山形交通バス):280円くらいだったような…。 二時間に1本程度だったような…。
(バスが通る途中の道にヤマトのセンターあり。バス停も近くにあったようなので、利用できなくはない。碁点からちょっと頑張って2㎞位歩けば、マックスバリューがある。)
・三難所船下り:「碁点」から「隼」手前の長島橋まで、約12キロの区間を50分ほどで下っている。
・大石田町運動公園:スタート適地。キャンプできる。水場・トイレあり。(地元のタクシーの運転手には公園の名前を言っても通じない。場所の特徴を伝えれば、なんとかなる。)
・大石田温泉あったまりランド深堀:350円。運動公園から2kmくらい歩いた右岸側のところにある。
・猿羽根大橋を過ぎるあたりから、瀞場が多い。
・小国川合流地点は、きれいな浜で、幕場適地。おそらく、買出しにはいけない。
・大蔵橋:右岸は上陸不可能だった。左岸に幕場適地あり。右岸に渡ってすぐの所にGSあり(『お湯事件』の)。その正面の神社の奥の階段を上がると、きれいなトイレ・水場がある。20時まで付近の商店・精肉屋さんが開いている。
・芭蕉ライン船下りの乗船場の所で、上陸させてもらえる。JR古口駅まで徒歩5分。コンビニ(ラフトが送れる☆)はあるが、ご飯を食べるところは少ない。草薙温泉までバスは出ているが、15時までで、日帰り入浴が終わってしまう。
 

Waseda Wander Vogel

Waseda Wander Vogel

早稲田大学ワンダーフォーゲル部の公式HPです。

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