2月8日
63代プレ春合宿は吾妻山域で行われた。ほかの候補として、八ヶ岳なども上がっていたが、最終的には春合宿で計画している八幡平のスキー縦走へのステップアップとして、環境が似ている吾妻で行うことにしたのである。リーダーの私、小山にとっては、1年、2年のプレ春合宿も吾妻連峰であり、プレ春合宿=吾妻の方程式が頭の中に燦然と輝いていた。3年のプレ春合宿でも吾妻に行くことは非常に楽しみである。ところが、初日の移動からミスが発生する。高田馬場駅から南福島駅まではいつものワンゲルと同じく鈍行で行く予定であった。しかし、途中赤羽にて乗り換えをミスした部員が4人発生。急遽、その4人は新幹線で来ることになる。総勢13人がかたまってくるのは難しいが、こんなつまらないミスはなんだかなあと思う。南福島駅に全員集合できたので明日から気合を入れ直そう。1年の時と全く変わらない南福島駅にて就寝。
2月9日
朝はタクシーで旧吾妻スキー場手前へ。ここは、2年前のプレ春合宿の出発地点よりも少し手前である。雪があってこれ以上は入れないといわれたが、出発した後に、向かいから乗用車が走ってきたのを見た時には少しがっかり。しかし、仕方ないものは仕方ないので、林道を黙々とシール歩行。肩慣らしだと思えばちょうど良い。吾妻スキー場では、スキー場跡地でもちろん無樹林帯であるため、弱層テスト。10分で一通り終わらせることを目標にしたが、時間がかかってしまう。2年生は、手順については習得できているようなので、1年生に指導しながらだと時間がかかってしまうというところだろう。どこかで練習の機会を設けた方が良いかもしれない。弱層テストの結果は、層はみえるが崩れるような感じではない。スキー場と樹林帯の境目あたりを進むことに。進むと、再び林道へ。そのまま林道を進むと林道とスキー場の間に沢が現れる。まずいなと思いつつ進むと、沢に小さな橋があり一安心。そこからはゲレンデトップまで、2時間弱。現在の部員のいいところは、支えあいの精神といえる。積雪期の活動は、トップのラッセルに負担が大きくのしかかる。もちろん、順番に交代しながら進むわけだが、ラッセルしない部員は歌を歌ったりなどしてトップを励ます係となっている。過去の彷徨を読むと、積雪期にも歌集を持ってきて歌っていたようだが、少なくとも私が入部してからはそのような習慣は無積雪期だけだった。私はこういった部の雰囲気は好きなので、これからも歌えるくらいの元気を持って活動してほしいと思う。ゲレンデトップには赤テープがあり、無積雪期は道がないことから山スキー用のテープと思われる。このテープを意識しつつ、コンパスを頼りに進むと、開けた場所に出る。夏場の登山道かと思ったが方向がおかしいので、気にしない。テープもいろんな方向に延びている(別ルートもあるのだろうか)ので、あてにならない。コンパスを頼りに進むと、2年前の記憶にもある、平らで開けた場所に出る。そこから10分くらいで慶応吾妻山荘。1年の時はこの時期にも管理人さんがいたが、今回はいないようだった。時間が、遭対シミュレーションをするにはやや足りないので、今日はカット。明日は天気も悪くなさそうなので、明日時間があれば行うことにする。
2月10日
天気は雪。このまま降り続くのだろうか。今日は、最初から急傾斜の登りなので、天気は崩れてほしくない。この五色沼までの急登は、2年前も大きく遅れてしまったため今年も余裕を持って計画している。冬合宿から気になっていたシールがはがれるトラブルが、今日は特にひどい。福永は藪の中でシールがはがれてしまい、板を外し、シールを貼り、板をはくという作業にかなり時間がかかっている。どうやら、吸盤式のシールは、少なくとも部員の雑な装備の扱いの中では力を発揮できないようだ。笠井は靴下が濡れてしまったので交換。兼用靴のバックルの締め忘れが原因。急な傾斜を登り終えると五色沼。初めてシートラをした思い出の地である。今年は雪が多いこともあり、シートラの必要もなさそうだ。ここで、福永のシールが外れ30分くらい待つ。風が防げる場所があればよかったが、強くなり始めた風を防げる場所はなかった。すぐそこの、家形山の登り始めで弱層テストをしながら待つ。ここは樹木の少ない傾斜なので注意が必要だ。福永が復活すると、家形山を登る。登った先は、台地状になっているため、家形山の正確な山頂はよくわからない。ここから先は、アップダウンの連続する縦走となる。この時点で、13時を回っており、今日は明月荘に到着することは出来そうもない。適当なところで切り上げることにしよう。昨年は、逆側からではあったが西吾妻山荘から明月荘まで3本くらいで進んでしまったので、今日は少し手前でも問題はない。兵子の南側にちょうどテントが3張入りそうな平らな場所があったため、そこでC2。吸盤型シール組にはしっかりと雪がつかないようにしてもらうことに。
2月11日
今日の目標は西吾妻山荘。昨日のロス分は取り戻せるだろうか。今日は最初は順調。ニセ烏帽子山まで1本で進む。このペースで進めればちょうど良い。が、次第にペースはゆっくりに。ニセ烏帽子山は山頂まで樹林におおわれているが、烏帽子山や昭元山は山頂付近はハイマツや疎林で、風の影響で雪面がガリガリになっている。極力巻いて対処するが、シール歩行も滑降も時間がかかってしまう。さらに、ルートに関してこれが最大のミスだったが、今日明月荘に到着するのは難しいと分かった時点で、東大巓を南から巻こうとしてしまったのである。東大巓南側と北西側では北西側のほうが傾斜が緩く、風も少なかったと思われる。時間いっぱいまで進む前に、防風壁を作る時間の余裕を見て行動終了。明日下山できるかどうかわからないが、下山への気合を入れるためにも最終夜とする。ザックも軽くなるので、明日は早く進めるだろうか。
2月12日
朝から風が強い。今日はなるべくスムーズに進みたいところだが、出発前に福永がシール紛失。気付いた尾形が即雷。結局、用を足しに行くときに落としていたらしい。シールは雪の中から見つかる。見つからなかったら、かなりまずい状況になっていた。すぐにつけさせて、出発。風が強いため、目出帽を着用させる。このあたりは木が疎らであり、北側斜面から登ってくる風を強く受ける。休憩も風が防げる場所がないため、一回を7分と短めにした。後から聞くと、とくに1年生は読図で時間がかかり、レーションを食べる時間が少なくなってしまったようだ。ラッセルは2年生中心で。交代のテンポも速くして、スピードアップを図る。藤十郎の3つのポコは南から巻く。天候が悪いので、ポコはぼんやりと確認できる程度である。中大巓の登りあたりからは、視界が少しずつ良くなってくる。中大巓からは西吾妻小屋まで直線で進むことに。このころには視界は十分よくなっていて、コルから登ってしばらく行くと、小屋らしき建物が見える。もうすぐだと思って進んでいくも、そこにつくととても小さな小さな建物。小屋ではなく、その手前の天狗岩もお堂であった。実は、似たような経験をこの半年後にもするのだが、それはまた別の話。ただ一つ言えるのは、この時はかなり落ち込んだということ。今思い返してもショックである。実際の西吾妻山荘はそこからもう少し進んだところにあった。その間にも、実際には何もないのに、「あそこに小屋が見えませんか」という話がいくつもあった。疲労で幻覚が見えたのか、ガスがそのように見えたのか、理由は分からない。西吾妻山荘は1回の扉が凍っていたため、2階から入る。1階の扉は中からなら開いた。女子部員にとっては、この小屋にトイレがあることがかなりの感動であるらしい。男どもには理解できない話なのだろう。2階の方が温かいだろうと2階を利用することに。凍傷に初めて気が付いたのはこの時である。昨日も最終夜をしたが、まだ飲食物はあるので真の最終夜を行う。予定よりも1日長い合宿となったが、いよいよ明日で終わりとなるめどがついた。
2月13日
この日まで取っておいたかのような晴天。西吾妻山山頂まで30分ほど。式典の後は写真を撮る。あたりの山は一望でき、実に気持ちが良い。山頂付近は傾斜が緩いので滑り出せそうなところまでシールで進んでから弱層テスト。昨日までは気温が上がらなかったこともあり、問題はない。最初はモンスターの間を潜り抜けながら進む。1年生はモンスターに激突して雪まみれになる者が続出。大変微笑ましい。次第に、モンスターから普通の樹木へと変わりだすと、滑りやすくなる。ここまで、長い距離を滑ることが少なかった分、楽しんでいるようだ。二十日平を越えると、トレースを発見。トレースは沢の方へと延びているので軌道修正をするが、結局は渡渉手前で急な坂を滑ることになる。渡渉後は林道を経てスキー場へ。スキー場の温泉につかり、会津名物ソースかつ丼を食べてから帰京。吉村は、61代宮澤さん宅でお世話になってから帰るとのことだ。凍傷については、12日の時点で確認できていたが、その程度が把握できず、適切な処置を行えなかったことが問題である。その他の予防面に関しては、コミュニケーションをより綿密にとることが何よりの対策になるだろう。
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