75代年間方針『成長』

 

63代錬成合宿 目指せQueen!鳳仙駒隊 2012/7/12-15

登山・縦走

7月11日(水) C0
私たち後発隊も、先発隊と同様に18:45に高田馬場駅に集合した。先発隊は昨日(7/10)錬成合宿を終えたばかりで、小山や尾形、吉村が見送りに来てくれた。さらに、平日のこの時間にもかかわらず、石川さん(38代)や佐藤理沙さん(61代)も見送りに駆けつけてくれた。ここで、錬成合宿恒例の大量の差し入れをいただく。大根が多いのは、先発隊からの嫌がらせである。19:15ごろ、出発前の元気な笑顔で集合写真を撮り、温かく見送られながら出発した。今日のステビポイントである韮崎駅に到着したのは22:33であった。
駅に着くと明日お世話になるタクシーの運転手がいて、明日の時間や目的地について確認をとった。予定では、青木鉱泉を目的地としていたが、翌日悪天の中での行程を少しでも短くしたかったので、目的地を「中道登山口」に変更したい旨を伝えた。運転手はその場ではYESとは言えないらしく、上の者に確認してみてくれるとのことだった。それから私たちは駅のそばにある「韮崎市民交流センター」の屋根の下にお邪魔して、速やかにシュラフやら山靴やらを出して寝る準備を始める。長谷川の両足には既にテーピングが巻かれている。私は、寝る時はテーピングをしていたくないので、明日の朝起きてから巻くことにする。特に何をするでもなく、23:00就寝。

 
7月12日(木) C1
5:00起床。シュラフを畳んでコンタクトレンズを入れて山靴を履いて・・・いつものように慌ただしく身支度を整え、5:15にはタクシーに乗り込み韮崎駅を後にした。既に雨が降っている。昨日の目的地変更のお願いは認めてもらえたようで、私たちは「中道登山口」へ向かう。タクシーに乗ること一時間、6:10に中道登山口に到着した。タクシーを降りてすぐに雨具・スパッツを着用、準備体操をして、6:24行動開始。始めから雨というのはやはり辛いものがある。下級生の表情が暗い。休憩のとき、差し入れのミニトマトを回したりしていると、だんだんと皆の顔も笑顔になってきた。やっぱり食事は人を幸せにするんだなぁ。その後も雨は降り続き、ドロドロの道を進んだ。薬師ヶ岳を過ぎたあたりには、青木鉱泉への道を示す矢印がいくつも書かれていた。大きな岩に赤いペンキで『青木 →』と書いてあるので、つい、青木(彩)を見てしまう。皆もまだまだ余裕そうだな。ただし、観音ヶ岳を過ぎるころには、新人奥平はもうだいぶ疲れていた。それでも雨の中最後まで頑張って、15:17にC1の鳳凰小屋に到着した。
地図をつけたらまずは休憩、ということで、差し入れのトマト(潰れかけている)を皆で食べた。設営をして、16:10食当点火。今日のメニューはすき焼き!ということで、差し入れをできるだけ消費してしまおうと試みたようだが、当然、野菜を切る量も新歓合宿より多いため、苦労している。新人藤田は、惣菜をよそうときに丸食を引っ繰り返したり、缶を切る時に手を切ってしまったり・・・そそっかしくて危ない。でも、新人の奥平・藤田が作ってくれたすき焼きは冷えた体を温めてくれて、とても美味しかった。
その後は、鳳凰小屋にお邪魔して上ミを行った。寒さで体が震える。予定では、明日は仙水小屋まで行ってC2とするはずだったが、そこまでの道のりは長く、今日の疲れ具合と必要な睡眠時間を考えると、仙水小屋を目指すのは無茶だと思った。そのため、明日は無理をせず、手前の早川尾根小屋でC2とすることを決めた。この決定により、今晩は濡れた物を乾かすための時間も多少確保することが出来るし、十分に睡眠をとって明日の行程に備えることも出来る。T.P.では差し入れのパイナップルを食べたり、明日のためのタッパー飯を詰めたりして、楽しく過ごす。タッパー飯については賛否両論あるが、私は強く賛成する。というか、タッパー飯を好きな気持ちは部内でも一番ではないかと自負している。
その後は、とにかく着ている物を乾かしてから寝たいと思っていたが結局完全には乾かないままシュラフに入ることとなった。21:00就寝。

 
7月13日(金) C2
4:00起床。雨は止んでいて、晴れてはいないけど、これからの天気に明るい兆しが見え始めた。朝食の味噌汁はいつものように濃いので、私は丸食によそってもらった味噌汁にポリタンの水を加えて薄めて食べるようにしている。調度良い美味しさになるし、熱いのも緩和されるので、私としては結構ハマっているのだが、残念なことに同じように真似して食べる人はいない。そんなこんなで素早く朝食を済ませる。
5:40行動を開始する。今日は長谷川がトップである。ちょっと張り切り過ぎてペースが速くなることもある。赤抜沢ノ頭に向かう登り坂では、奥平がバテ気味で転んだりもしていて、早速新人の洗礼を浴びている。起き上がるのもやっとといった感じでようやく立ち上がる。3年青木が奥平のすぐ後ろについて、「早く歩け」と言わんばかりに奥平のザックを押したり叩いたりしているのが何とも頼もしい。登り切ったところで、たくさんのお地蔵様に迎えられた。まだ7時前である。その後も雨が降ることはなく、皆も比較的元気に歌いながら進んでいく。なかなかいいペースだ。8:40、高嶺に登り切って皆の良い笑顔を写真に撮った。私は、新人のときからいつもこの時間(朝の9時前後)になると考えてしまうことがあって、何かというと、「下界ではこの時間にようやく一限の授業が始まるところだけど、山ではもう何時間も前から歩き続けているなんて、何て有意義で贅沢な過ごし方なんだろう!!」といった感じのことだ。そんなことを考えながら、何というか、今生きていることを実感したりしている。
曇っていた空も次第に雲がなくなっていき、遠くの山々や雲海が見渡せるくらいの天気になった。時々、青空も垣間見える。10時半ごろ赤薙沢ノ頭を過ぎて、少し下りたところでタッパー飯にした。何だかんだ言って、タッパー飯を食べているときも皆楽しそうだ。キムチと鶏そぼろ、梅干しがおかずで、ご飯が進んだ。
12:38、C2の幕場である早川尾根小屋に到着した。だいぶ早く今日の行程が終わって、皆嬉しそうだ。今日は、食当点火までにも結構時間があるので、新人たちもゆっくり休むことが出来る。設営を終えて、昨日濡れた衣類やシュラフを皆が乾かしているそばで、藤田が困った顔をして「靴下が脱げないんです・・・」とよくわからないことを言っている。見てみると確かに、二重にした靴下同士が張り付いて脱げなくなっている。強く引っ張ろうとすると靴擦れが痛いらしく、苦痛に顔を歪める姿が何とも可哀想だ。奥平が手伝って、ようやく脱ぐことが出来た。2年佐々木は、その隣で終始笑っていた。佐々木とはそういう男である。
さて、お楽しみの今日の夕飯はカレーライスである。(たしか)私が差し入れたサフランの粉を入れて炊いた黄金色のご飯が、いつものカラーライスとはちょっと違った特別な感じを演出してくれる。カレーに大根を入れるかどうかというところで、由梨の大反発があったが、ここは新人や2年生が早く差し入れを消費したい気持ちを酌んで、リーダーの権限で大根をカレーに入れることに決めた。実際、カレーに大根はありだと思った。そのあとの上ミ、全ミ、T.P.はささっと済ませ、20:00に就寝。

 
7月14日(土) C3
3:30起床。天気が悪い。今日の行程には余裕があるので、天気が多少回復するまで出発を待つことにする。6時半ごろに雨が上がり、行動を開始した。
雨が降ったり止んだりする中で、アサヨ峰を目指す。アサヨ峰は、3年内山や2年長谷川が強い思い入れを持っていた(62代錬成合宿を参照)ので、この合宿が始まる前から、アサヨ峰に越えるのがいかに厳しいことかを新人の2人に語ったりして怖がらせていた。実際、アサヨ峰までの道のりはそうキツくはなく、やはり去年の錬成だったからこその苦い思い出だったのだろう。とはいえ内山や長谷川はアサヨ峰へのリベンジに燃えていたこともあり、歓喜のポーズとドヤ顔で何枚か写真を撮った。10時ごろアサヨ峰を出発して、12時頃に栗沢山に着いた。奥平はもうヘトヘトな顔をしている。雷鳥を発見するが、奥平の反応は薄い。仙水峠への下りの途中で、石川さんからの差し入れのゼリーをいただく。フルーツがたくさん入っていておいしかった。このあたりから天気が良くなってきて、最終日に登る予定の甲斐駒ケ岳が山頂まではっきりと見えた。13:48、仙水峠に到着。地図を付ける姿も元気がない奥平。あともう少しだから頑張れ!みんなで励ます。今日は土曜日なので、仙水峠には他にも10人ほどの登山者がいた。私たちほどの荷物を背負った人はいないのだが。
14:22、C3幕場である仙水小屋に到着した。ここもかなりお客さんが多く、テントを張る場所も譲り合うような状態であった。食当をして、上ミ。議題として上がったのが、2年長谷川の下山についてである。長谷川は2日後の16日(月)5限にテストがあるため、それまでに下山したいとのことだった。そこで、明日(15日)仙丈ケ岳のピストンを終えてC4までいることとし、16日の朝に他のメンバーが甲斐駒ケ岳を目指して出発するタイミングで長谷川一人下山させることに決めた。全員で最後まで行程を踏破できないのは残念。長谷川には、明日の仙丈ケ岳ピストンで最後のトップをしっかりと努めてもらおう。T.P.と全ミでは、すぐ隣にテントを張っている他のお客さんにも配慮して、大声を出したりしないように注意した。20時半、就寝。

 
7月15日(日) C4
3:00起床。今日はいよいよ仙丈ケ岳である。隊名にも「目指せQueen!」とある通り、今合宿、甲斐駒ケ岳と並んで大きな目標としてきた山だ。何としても全員でその山頂に登りたい。
5:13に行動を開始して、まずは林道を目指す。途中の北沢駒仙小屋にはなんと50以上のテントが張られていて、その異様なまでに多い数とカラフルな光景にビックリしてしまった。6時ごろ林道に着いて休憩しているときに、奥平の靴擦れが酷いということでその処置をするのに時間をとった。確かに皮が剥けて痛そうではあったが、さすがに4年目にもなるともっと酷い靴擦れは何度も見ているし、自分も酷い靴擦れになったことがあるので、正直、そのくらい我慢してくれと思った。でもやっぱりこんな靴擦れが初めての新人には、痛いし辛いことだっただろう。この痛みに耐えて行動を続けたことで、また一回り成長しただろう。もちろん、次からは靴擦れにならないようにより入念に対策をすべきなのは言うまでもない。
8時ごろ、ようやく5合目に到着した。北沢峠や小仙丈ケ岳を指し示す看板には、英語表記だけでなくハングル文字も書かれていた。最近では韓国人登山客も多いのだろうか。ところで今日は日曜日、しかも明日は海の日で祝日なので登山者がとても多い。行列が出来てしまって、なかなか先に進まない。まったく、海の日でも山に来る人は来るんだなぁ。人のことは言えないが。他の登山者が多いので、今日は全然歌えない。
山頂に着いたのは10:40。やはり人が多すぎるので、式典は行わないことにした。残念・・・。雲が多くて景色を楽しめないのもかなり残念だった。山頂付近はかなり風が強くて寒かったので、写真だけ撮ってすぐ下りることにした。少し下りたところで休憩、タッパー飯の時間としたが、寒かったのでタッパー飯も冷たかった・・・。
15:20、仙水小屋に戻ってきた。今日は最終夜だ。本来であれば最終夜らしく大いに盛り上がりたいところだが、今回は他のお客さんの迷惑になってしまうので、あまり騒げない。いつものように大量の差し入れを広げ、小さな声で乾杯!今回注目の差し入れは、内山からのカップラーメンと、佐々木の網焼きトウモロコシだろう。骨付きウインナーを焼いたのもおいしかった。長く楽しみたいところではあったが、他のお客さんが寝ているのと、明日の行程も長いのとを考えて、最終夜にしては早い22:00就寝とした。

 
7月16日(月) 最終日
3:30起床、5:40行動開始。周りのお客さんたちも撤収を始めていた。今日はこれから甲斐駒ケ岳を目指す。ただし2年長谷川は今日の5限にテストがあるため、一人下山するのだ。長谷川に見送られる形で、私たちは仙水小屋を後にし、まずは仙水峠へ。岩場に出てから、新人奥平の様子がおかしいことに気が付いた。ペースが速いわけでも、登り坂というわけでもないのに、明らかに息が上がっていて気分が悪そうだ。仙水峠で、様子を見ることにした。
6:20、仙水峠着。ザックを下ろすと、奥平は倒れ込むようにして地面に横になった。視線を合わせられなかったり、意味不明な言葉を発したりする。そのうち、寒気を訴えて震えだした。20分くらい様子を見たあと、全員で仙水小屋に戻りそのまま昨日歩いた道を通って下山し、バスに乗ることを決めた。内山や佐々木に奥平を背負わせるが、不安定でなかなか先に進まない。ザック搬送に切り替えると、多少安定して歩きやすくなったようだ。その後も嘔吐を繰り返し、話しかけても反応がなかったりする。奥平の搬送は内山と佐々木に任せ、他の者で奥平・内山・佐々木のザックを何度かに分けて運んだ。
奥平たちよりも早く仙水小屋に着いて、小屋で電話を借りて大家監督に状況を伝えた。8時になってようやく奥平たちが仙水小屋に到着したので、水分補給などをしてから、そのままバス停まで下りてバスで北沢峠に向かうように指示した。この間、新人藤田は、仙水峠から仲間のザックを運んだり、途中まで奥平の搬送を手伝ったりしてくれて、最終的に仙水小屋に戻ってきた。初めての錬成合宿でこんなことになってしまって動揺しているだろうに、錬成合宿最終日とは思えないくらいの体力を発揮してくれた。さすが藤田だ。同じく仙水小屋に戻った青木には、先に下りた奥平たちを追って同じバスに乗るように指示した。バスの時間が多少ぎりぎりではあったが、青木なら間に合うだろう。

9:35、奥平・青木・佐々木を乗せたバスが北沢峠から広河原に向けて出発した。ずっと奥平を搬送してくれていた内山は、バスには乗らずに仲間のザックを回収するため仙水小屋に戻ってきた。一方の仙水小屋では、私と由梨、藤田が北沢峠に向かい出発したところだった。私はこのとき自分のと奥平のザックを持ち、最初で最後のダブルザックをした。火事場の馬鹿力とはこのことだろうなと思うくらい、不思議と平気な感じでバス停に着いた。そして内山も、仙水小屋に戻ってからダブルザックで北沢峠まで下りてきてくれた。奥平搬送のあとでもこの体力、さすがは男・内山である。
北沢峠では、私だけ先のバスに乗って奥平・青木・佐々木がいる広河原に向かい、状況を見て指示を出すことにした。というのも、この辺りは携帯電話の電波が繋がらないので連絡が取れないのだ。由梨にはそのまま藤田と一緒にいてもらい、内山が北沢峠に下りてくるのを待って、3人でバスに乗って広河原に来てもらうことにした。10:10、私の乗ったバスが北沢峠を出発した。バスの中で一人になって、これまでのことやこれからのことをいろいろ考えたり、窓から甲斐駒ケ岳を眺めたりして(今日は快晴だったのだ)、涙が出てきた。
10:40、広河原に着いてすぐ青木を見つけて、状況を知ることができた。奥平は、バスの中や休憩所で寝ていたり、ココアを飲んだりして、少しずつ落ち着いてきたらしい。まずは一安心だ。さらに標高を下げるために、一番先に出るバスに乗せて温泉施設かどこかで休ませることにした。奈良田行のバスが一番先に出るということだった。11:10、奥平・佐々木・青木を乗せたバスが広河原から奈良田に向けて出発した。私は、広河原に残って由梨・藤田・内山が到着するのを待つことにした。

北沢峠に残った由梨・藤田・内山は同じころ11:00のバスに乗って、広河原に向かっていた。そして11:40、広河原に到着した。奥平の状態も徐々に良くなっていることを伝えると、3人ともホッとした様子だった。私たち4人は、ここから一番早く出発する12:45の芦安行きのバスに乗ることにした。奥平たちとは、あとで甲府駅で落ち合うことができるだろう。青木とも電話が繋がったのでそのことを伝えることができた。
私たち4人は芦安温泉で、奥平たち3人は奈良田温泉で、それぞれ疲れと汚れを洗い流した。奥平も温泉に入り、このころには歩行・会話ともに正常に戻っていたらしい。本当に、大事に至らなくて良かった。温泉に入った後は、それぞれ甲府駅を目指した。私たちは芦安から甲府駅までバスで向かったのだが、そのバスでなんと青木のお姉さんに会った!私たちの会話を聞いて早稲田ワンゲルだとわかり、お姉さんの方から声をかけてくれたのだ。青木が奈良田の方にいたのが残念だったが、すぐにメールしてこの偶然の出来事を伝えた。
先に甲府駅に着いたのは私たちだった。ちょうど16:00ごろだ。その10分後くらいに奥平たち3人も甲府駅に着いた。結局、同じくらいのタイミングで甲府駅で落ち合うことができたのだ。7人が再集合を果たし、元気になった奥平を皆が笑顔で迎えた。ただし佐々木は、奥平搬送のため自分のザックを持っていなかったので、温泉の後また同じ衣服を着なければいけないという残念な状況だった。最集合してすぐ着替えに行った。
お腹も空いていたので、皆で打ち上げをして“ほうとう”を食べた。お腹も満たされて、皆も笑顔で、何とか合宿を終えられたことにホッとした。その後は解散して、私と奥平と由梨とで甲府共立病院に行き、奥平の検査をしてもらった。やはり、高山病の可能性が高いということだった。奥平は今後の山行でも注意していく必要がある。

 
さて、かなり長い記録になってしまった。最終日、皆が協力して力を発揮してくれたことに心から感謝しているので、出来るだけこの経緯を記録して残しておきたいと思った次第である。奥平が無事で本当に良かったし、この経験を通して私は今まで以上にワンゲルが好きになった。甲斐駒ケ岳に登れなかったのは残念だったが、それ以上に大きな意味を持つ合宿となった。隊員の皆、本当にありがとう!お疲れさまでした!
 

Waseda Wander Vogel

Waseda Wander Vogel

早稲田大学ワンダーフォーゲル部の公式HPです。

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