【日程】
3月10日(日)〜3月15日(金)
【メンバー】
3年(L)浦林 (SL)福地 高橋
2年:小田 中村 弘中 山崎
1年:細見 水野 渡邊
【目的】
75代春合宿〜丸山岳に行くぞ!〜
【行動詳細】
細かな行動時間等は以下のヤマレコ記録を参照ください↓
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6551973.html
【1日目】
高田馬場駅に集合し鈍行で5時間かけて会津高原尾瀬口駅へ。タクシーで小豆温泉に向かう。タクシーの運転手さん曰くやはり今年はめちゃめちゃ雪が少ないらしい。三岩岳登山口駐車場の場所が分かりづらくタクシーで行ったり来たりした。コンクリの上にテントを張り就寝。
【2日目】
調査の時よりも明らかに積雪があった。登山道沿いにトレースがあったため使わせてもらう。担がなきゃいけないかなぁと思っていた核心部の取り付きを1本かからず登ることができ、8:30には1000mに到達。天気もいいし、三岩岳も綺麗だし、順調だぜ〜と思っていたら前を歩く福地の板から変な音が。1308mを超えたあたりで福地のビンディングが外れかけ、ネジで固定。だが200mくらい登ったらネジが取れた。しょうがなくシートラわかん。日射で緩んだ雪に流石の福地もしんどそうだった。なんやかんやあって窓明山へと続く稜線に乗ったのが14時手前。窓明まで行くのは無理だと判断し、めまうだ湿原で幕営することに。稜線は程よくパックされた雪で行動しやすい。だが雪庇が発達していて細かいアップダウンに迂回の連続でなかなかペースが上がらない。わかんの福地の方が早かった。ビンディングが壊れた状態では行動を続けることは困難と判断し、福地と一緒に中村を下すことに。序盤でこの2人を失うことはだいぶしんどい決断だった。
【3日目】
6:00に幕営地を出発。雲行きが怪しい。一本半かかって窓明山に到着。ここの一本半でみんな何かを削られた様子。歩きづらかった。窓明山で福地と中村に別れを告げ先を急ぐ。シールを外すか外さないか迷ったが、外さずに滑降。結論、外したほうが早かった気がする。斜度が急&パックされたでこぼこな雪&木が密で滑りづらかった。9:30に1612mのコルに到着。このままのペースじゃまずいと思うが8人もいるとなかなかペースが上がらない。坪入山は山頂を踏まずに1770mあたりからトラバース。調査で行くことができなかったナイフリッジの姿に通過できるかドキドキしながら先を進んだ。手前のトラバース区間からリッジまで木がなく斜度が急なため、降雪直後の通過は慎重な判断が必要。リッジの左下を通過し、稜線に出る。1712mのポコでシールを外し滑降。トップのルーファイミスや細かい凸凹で時間を取られる。14時前に1538mに到着。そこから一本で1692m地点へ。計画段階で決めた準則に従い、C2時点で高幽山につかなければ丸山岳は諦めるということになっていた。そのためなんとしても高幽山につきたかったが、吹雪の中長時間行動したためか下級生に疲労の色が見えたため断腸の思いで1692mで幕営することを決定した。この時点で丸山岳アタックは断念。梵天岳までと決定。夜から翌日にかけて猛吹雪になるという予報だったためツリーホールの中を掘り、その中にテントを張った(この判断がのちに悲劇を招く)。湿った雪だったため体がびちょびちょになり、震えながら食当。翌日停滞するという判断をし就寝。
【4日目】
停滞することを決めていたため6時起床。夜中に一度弘中がテントラッセルをしてくれていたにもかかわらずほぼ埋まっている状態で大変だった。朝ごはんを食べて二度寝を決め込む。お昼からさらに雪が強まり30分に一度くらいのペースで雪かきをしに外に出る。ゴーグルがないと目も開けられないくらいの吹雪で、停滞の方が疲れるという逆転現象が起きた。夜、装備の濡れからか、山崎の体調が悪化してしまった。翌日の体調を見て、山崎をおいて先に進むか、全員で撤退するか判断することに。風雪は相変わらず強い。夜起きなきゃなと思いながら就寝。夜中、一番はじで寝ていた水野が寒いと言って震えていた。EPI缶をたいて湯たんぽを作る。山崎も水野も雪かきに出る際にダウンを着たままだった。装備を絶対に濡らさないように徹底させるべきだった。
【5日目】
3時半に起床。水野はあのあと少し寝れたみたい。よかった。だが山崎の体調はやはり芳しくないようで、この後の行動を考える。山崎をテントに残す場合、上級生をひとり一緒に残らせる必要があると考えたが、福地・中村がいない今、上級生の人数を割く余裕がないこと、下山までに最低でも2日はかかる場所にいること、天気があまり良くないこと、、、などなどいろいろなことを考え結局引き返す判断をした。先に進みたい気持ちはやはり強かったが、山崎の体調がこの後さらに悪化する可能性や荷物を分担して持ちながら降りることを考えるとあまり余裕はないなと考えた。風が強いため少し日が上がる7時まで待機し、撤収を始めるがA隊の方のテントは完全に埋まっていた。B隊の方はあまり被害を受けていなかったようで全員ピンピンしていた。隣でテントを張ったのにこうも変わるなんて、、、あの時逆にしていればよかったなんてことを考えながら撤収。8時過ぎに出発。南岸低気圧による降雪だったため予想通り湿った重い雪で滑りにくい。稜線上以外はラッセルが大変だった。1712mのポコまで出て後ろを振り返ると、日に照らされた高幽山から先に続く山々の稜線が広がっており、とても綺麗だった。昨日の降雪でナイフリッジのあたりはウィンドスラブが形成されているのではと懸念していたが、リッジの南斜面下ギリギリを歩くようにすればあまり傾斜もなく安全に通過することができた。行きは無立木の斜面を坪入山をトラバースするように通過したが流石に雪崩が怖かったので直登で登った。15時ちょうどに1612mのコルに到着。この日も風が強い予報だったため少し降った樹林帯に設営した。この日は最終日だったがみんな疲れていたようで早めに就寝した。
【6日目】
3時半に起床。山崎の体調は悪化していないみたいで安心した。5時半ごろから撤収を始めたがA隊の方の撤収が遅くなってしまった。最終日にもなって残念な結果だった。6時ごろに出発。窓明山に向けひたすら進む。朝靄と日の出がとても美しかった。この日はとても天気が良く、みんなのテンションも少し上がっているように感じた。1本くらいで着くかと思ったが、行きでも苦戦した稜線ボコボコゾーンに突入し2本近く時間がかかった。窓明山に続く稜線も遠くに見える坪入山も、それを囲む毛猛連山もすごく綺麗だった。「人跡稀な山域」を好んでいく人たちの気持ちがわかるなぁなんて思いながら歩いていたら窓明山に到着。爆風だったが、みんなで写真を撮り滑降準備に移る。山頂直下もそこまで硬くなくとても滑りやすかった。このペースでいけば3本で下れるのでは?と思ったが、1600mを超えたあたりくらいから一気に雪が重くなり、みんな転び出す。家向山はシールをつけてトラバースをすることに。重い雪&ラッセルに時間を取られたが11時ごろに再び滑走開始。その後、細い尾根ゾーンに突入したが、調査のときより雪があったためか素直に滑ることができた。その後巽沢山までは板を脱いで担いで登り、12時すぎに到着。1時のバスには間に合わないことがここで確定したため小豆温泉に入って15時のバスで帰ろうなどと話しながら先を進んだ。1050から950の100mはほとんど横滑りで滑った。調査の時と同様、950m付近でシートラに切り替えた。前回より荷物が重いためか腰が痛いなと思いながら最後の歩きを頑張る。道が見えると山崎から歓喜の声が。みんな本当にお疲れ様でした。道に出て10分くらい歩くとバス停を発見。その後みんなで温泉に向かい15:58分のバスで会津高原尾瀬口まで向かった。
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