61代春合宿 Team first spur EZO FUJI 2010/3/15-21

Posted on 3月 22, 2010 in 合宿記録, 山スキー | 0 comments

3月15日

春合宿の出発地、羽田。
いよいよいざ蝦夷が実現する時が来た。
飛行機に家財道具一式を持ったような18人が乗り込むのだから、大変だ。余裕を持って2時間くらい前にチェックイン始めたが、荷物チェックに重量オーバー…結局解散する時間もなく、18人終わったらすぐ搭乗ゲートに行くことになった。見送りに来てくださった、監督とHさんも一緒に出陣の写真撮影。ありがとうございました!
なんとなくドキドキする身体チェックを受け、我々のバカでかい荷物が飛行機に詰め込められているのを眺めているうちに、18人は飛行機に乗り込んでいた。
蝦夷の地はあっという間に着く。ちょっと物足りないほどだ。飛行機で1時間じゃぁわざわざ遠く蝦夷に来たのだという実感が沸きにくいかもね。

18切符を購入して札幌。飛行機に乗せられなかったEPI缶を大量に購入せねばならない。ひとつ隣の駅まで装備係りが中心に、おなじみICIスポーツに向かう。調査のときもここで買った。東京に比べるとスキー用品が豊富な感じ。さすが、北海道。ここで不届き者が忘れ物を購入していたという。なんということだ。こういうことは永久に装備報告として語り継がれる。気をつけましょう。
残りの人々は札幌駅で思い思い食べ物を物色していた。改札内にあるストーブの周りに集う人々。北の国ならではの心和むワンシーンだが、中ではいすの争奪が繰り広げられていたようだ。
買出し組みが戻ってきて、みんなで本数少ない函館本線に乗り込み、各駅停車でのんびりニセコに向かう。車窓からの北の台地の風景は、程なく夕闇に隠れ、これから待ち受ける合宿への期待と緊張が混じった自分の顔が、曇ったガラスに見え隠れする。
倶知安に着く。

Team IZA last frontier 雷電の皆が降りていった。行っちゃたなぁと寂しく思うが、また明日同じ場所に幕営するのかと思い出す。
外がきらきら光っている。スキー場の明かりだ。すぐ向こう側に激しい自然の戦場が待ち受けていることを忘れ、しばしロマンチックに煌くリゾートの世界に見とれていた。
昆布駅。本当に「コンブ」と読むんだねと誰かが呟く。
改札のない寂しいホームの外でジャンボタクシーが私たちを待っていた。この車がすごい。こんなに大きなジャンボがあるのか、と感心した。きっと大荷物のスキー客が利用するからだろう。監督のお車もびっくりの収納力。9人と9個の家財道具を悠々と積み込み、車は一路、湯元温泉に向かう。はるばる来たという興奮が、やがて長旅と緊張の疲れに飲み込まれていく。暗いスキー場とほのかな温泉の明かりの間に車は止まり、大自然の端っこに9人は取り残される。 営業しているのかわからないスキー場の建物の軒先にテントを張り、数名はシュラポン。Y塚とかはわかるけどW部も。食欲といい女子の常識を覆す子だ。温泉宿にトイレをかりに行き、ついでにテルモス用のミルクティーを購入。朝沸かしなおそう。実はここでLのインナー手がT佳のイリュージョンによって姿を消すというハプニングがあった。タネも仕掛けもあったのだが、気づいたのは12時間以上後だった。
夜ご飯をぼちぼち食べて、おやすみなさい。明日は天気が悪そうだ。とりあえず、コルまでは行きたいなと考えているうちに、蝦夷の夜は更けていった。

 

3月16日
テントの外はガスがかり、視界が悪い。どうやら気持ちよく出発とはいかなそうな雰囲気だ。今日行動するかちょっと思考し迷って、空を見上げ、コルまでなら行けると判断する。皆はのそのそ起きて、眠そうに朝ごはんを食べながら、不安げに外をのぞいている。
いまいち合宿始まったぜ~っという覇気がないのは、天候のせいかな。リフトの脇を出発し道路沿いにあるトイレで時間をとって、再び出発。少し道路沿いに歩いたが、方向が変わりそうなので、適当なところで中に入っていく。平らな雪原に木々が点在し、いい感じの雪景色を作っている。ニセコの地にふみいれているんだなという実感が少しずつ沸いてくる。風もあまりなく、視界もよくなってきた。当初の予定より東よりから入ったが、トップのD門が徐々に補正していく。左に細く小さい尾根を見て、今度は大きな沢の縁を歩行し、道路に出る。道は結構除雪されていて、遠くからショベルカーの音が聞こえてくる。なんてこった。ちょっと急で木のない斜面を越えると、ヘアピンカーブのところ。ここはまだ除雪されてない。道路標識が足元に埋まっている。さすが豪雪地帯。しばらくそのめっちゃ雪が積もった道路の跡を行って、沢のところを回り込めば、出発してからちょうど2本でコルに着いた。

コルは白くて木も生えてない。何にもない。真っ白。北大の人の「ニセコは白い」という言葉の意味がわかった。というか、どこにテント張ればいいのか、迷う。陰になったり風を防ぐものさえない。ちょっとうろうろして探してみるが、あまり両側の斜面に近づくのもよろしくないだろう。しょうがないからコルのど真ん中に張って、暴風壁を作ることにした。B.C.なのだし、丁寧に幕場は作る。まずはダンロップ二張り分のスペースを平らに掘り下げる。掘った分の雪のブロックは、北側に積み上げる。3、40分でちょっと狭いけど、高くてしっかりした暴風ブロックの幕場ができた。
荷物を入れさせて、すぐに3年でミーティング。この風ならまだ、チセヌプリにいけるだろうと判断し、みなに出発を告げる。風の強さがどのくらい変わるか、上の雪質はどうか不明であり、どこまで行けるかわからないが、試す価値はあるだろう。明日も今日と同じかさらに悪いという天気予報から推測するに、今日行かないと明日もチセ行けないのでは、という思いもあった。

コルは少し風が強くなってきている。視界もよくはない。チセの上のほうは見えない。が、チセヌプリ目指して歩き出す。登り始めて少しすると、雪質がコルまでと違うことに気づく。がりがり…これはスキーで降りるとヤバそうだな、と危険信号を感じる。少し行って斜度が出てくるところで弱層テストを実施。これはそこまで危うい結果ではなかったが、そうこうしているうちに、視界がますますよろしくなくなってくる。ひとまずチセヌプリの肩を斜めに目指そうとしたが、登るごとに強まる風と、転倒したら止まらなそうな、広く真っ白でカリカリな斜面。アイゼン・ピッケルで行けば、もう少し頂上付近まで行けたかもしれないが、初日に無理して、滑落でもしたら大変。チセヌプリはスキー滑降したくて、今回ルートに入れていることもあり、引き返すことにする。
シールをはがし、ニセコ初の滑降。1年、新人には特に注意して下らせる。心配した滑降だったが、案外皆転ばずに、このカリカリな斜面を下っていった。K川はちょっと南斜面に近寄りそうだったので呼び戻す。粉雪がところどころ表面に残っていて、ガリガリとスルスルが混じった滑り心地だ。あっという間に、コルに着く。ホッとすると、やっぱりまだ上に行けたかなぁなどと思って、チセヌプリの頂上があるだろう白いガスの空間を仰ぎ見てしまう。ここはがまん、がまん。安全に合宿すべし、だ。スキーをはずしてお疲れ様~

その後の長いフリータイムは幕場整備の時間となった。W部は心地よいトイレ作りに励み、せっせとスコップでブロック積み上げていた。2年はスノーキャンプで学んできたことを、ニセコの地で試そうと、何通りかの弱層テストをしたり、ルーペで雪を観察したりと、勉強熱心。3年はといえば、全力で雪洞作成。初めは男子二人が掘っているのを、女子二人は見守っていたが、疲れたとかで交代要員にさせられて、気がついたら雪洞で必死に雪をかき出していた。そのうち人が横になって何人か寝られるくらいの大きさになり、4人かかりで掘り進める。結局、食当です~と2年に呼び出されるまで、雪掘りに没頭してしまった3年だった。

今日のディナーはK川シェフお手製のペミカンを使用したキムチ鍋。私は積雪期のメニューでは一番これが好きなので、楽しみにしていたのだが、出来た丸食の中を見て、んっ!!!!? 黒い!?!出来たキムチスープは、赤じゃなくて黒かった。新種のキムチじゃあるまいし、いったい何が起こったのだ?と問い詰めると、ペミカンが…と言う。どうやらペミカンが非常識なほどに焦げていたらしい。まったく、困ったものだと思いつつも、呆れて笑ってしまった。この時までは。お茶も沸いて、全員に行き渡りましたか?いただきま~す!ということで、恐る恐る不気味な液体に口をつける。うげっ! K川~!!!!! バカも~ん!よくも美味しいキムチスープを台無しに!とまぁ、もう笑っていられない味だった。で、結果、数名が胃薬を服用したのだった。K川には有無を言わさず、起床係が命じられ、装備係にはK川の団配にすべてのゴミを振るように伝えられた。

 

 

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